今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真は日米戦前の空母レキシントン

引用開始
昔は軍艦旗のむかう所商権もこれに伴ったものである。英国には遂に太陽の没する時なしと豪語している。その・・・・・『米国は太平洋上に有力なる艦隊を必要とす』と叫ばしめた快漢ルーズベルト(セオドア)の希望は、今やその貿易の発展に連れて実現したのである。貿易と海軍はその何れを先とし、何れを後としても、要するに切っても切れない因果関係を持っていることは争われない事実である。
日本のフィリピン占領を真に受けて海軍拡張を疾呼する米人が有るかと思えば、支那の門戸開放には攻勢的海軍を必要とすると真剣に日本征服を企画する政治家もある。その何れにしても米国の東洋貿易の増進と発展を希望する声ならざるはないのである。今やロンドン条約によってその希望の第一段階を達成したのであるが、更に第二、第三といかなる鬼が出るか蛇が出るか、日本としては余ほど用心してかからないと取り返しの付かぬ運命を負うに至るであろう。・・・・・
思えば米国海軍の発達は最近の出来事である。
米国の近大海軍の歴史は1880年から始まると言われているのであって、南北戦争当時の軍艦中にも甲鉄艦等もないではなかったが、おおむね河用砲艦程度のもので何等統一されたものではなかった。然しその数は674隻の多きに達したのである。
1880年には米国の使用に堪える軍艦は41隻に減じ、中17隻が鉄もしくは鋼製で、然もその三隻のみが後装施條砲を搭載しておったに過ぎないのである。・・・・
1885年には二隻の装甲巡洋艦及び二隻の砲艦建造費が通過して直ちにこれが建造に着手した。この巡洋艦は航洋巡洋艦として6680トン及び6300トンの排水量を有するメイン及びテキサスの二艦であった。メインは英国海軍造船官によって設計せられたが、テキサスは米国海軍工廠によって設計せられた。然しテキサスはその大砲公試において船体の脆弱が災いして、大改造を施さなければならなかった。米西戦争後この船は標的艦となって重要なる射撃実験の犠牲となったのである。一方メインは当時における最良の成績を挙げて米海軍に新活気を与えたが、この艦は後年サンチャゴにおいて爆沈し米西戦争の口実を造ったのである。然しこれらの軍艦はその当時におけるヨーロッパの戦艦と比較すれば大きさにおいてその半ばにも達しない程のもので、議会は依然とし安価な海岸防禦用を賞揚しておったのである。・・・・
ところが1898年には米西戦争が始まり、米国民は一時に海軍問題に関して覚醒したのである。同年の海軍計画は1890年のレコード拡張案を突破すること二万トンの35隻、59570トンの計画であったがなお翌年には12隻、105084トンの追加計画をも通過したこの大拡張案によって建造されたるものが、日本移民排斥法案のやかましかった時に、日本訪問を企てた戦艦16隻の堂々たる艦隊となった。当時大統領ルーズベルトは議会に教書を送り且公開演説において熱心に米国の新戦略地位に必要なる大海軍の建設を強調した。・・・・ここに米国海軍は面目を一新して世界の一大新鋭海軍国に躍進した。・・・・しかし実際問題として何国の脅威を受けておらない米国の海軍拡張は、なかなか大統領の思うように真剣にはなれなかったのである。・・・・
ところが世界大戦開始の翌年1915年頃から、米国では海軍充実問題がやかましくなり、翌1916年に彼の有名なる『三年計画案』なる厖大な拡張案がダニエル海軍卿によって議会に提出せられた。・・・・
どうして米国がこんな途方もない大拡張計画を企てたかと言えば、そこに三つの見方があると考えられる。
第一、英国側から観た所論であるが、今や英独交戦の真っ最中で何れが勝つか負けるか判らない。もしドイツの軍国主義が勝ったとすれば、ドイツの次の目標は米国とならざるを得ない。この恐るべき相手に対しては米国はその領土を保護するに充分なる兵力を必要とするということ。
第二、ウィルソン大統領の意見として、海上兵力の優越は今後米国をして世界平和の武装管理者とならしめ得るとしたこと。これはウィルソンの平和会議出張中本国議会に送った教書においても指示している所である。
第三、世界戦争中の日本の対支発展に関する誤解、日本の山東進出、二十一ヶ条要求等がいかにも米国のヘイ・ドクトリン破壊のように観取せられたこと等である。・・・・
この米国海軍政策の根本義をなすものは、
『米国海軍は国家の政策と通商を維持し本国並びに海外領土の防護に充分なる勢力を保有せざるべからず』というのであるが、これは何国の海軍でも普遍的なもので何等の奇も無いのであるが、その国家政策というのが曲者で、いわゆる米大陸におけるモンロー主義と、支那における門戸開放を強調するヘイ・ドクトリンであることは疑いを容れない所である。これに関して米国海軍の作戦部長エベリー提督は『モンロー主義には防御的海軍にて足りるが、ヘイ・ドクトリンの遂行には攻勢的海軍を必要とする』と広言しているのである。・・・・
ここにおいて考えなければならないのは、英米均勢を確実に獲得した米国は、英国に対する戦争などはほとんど眼中にはないのである。英国にしてもカナダ、豪州を控えて米国と戦争するの愚を敢えてするものではない。よって自然米国の想定敵国は日本より外にはないと云う結論に到達するのである。・・・・
日本の防御的海軍政策と米国の攻勢的海軍政策の相違が、何時も太平洋問題の紛糾の種となるのゆえんである。
引用終わり