2006年07月22日

富田メモの政治利用

 今回日経が経済紙であるにも拘わらず、「冨田メモ」なる、意図も見え透いた煽動記事を、わざわざトップにデカデカと掲載しました。
 朝日新聞も2月02日の社説「寛仁さま発言は政治的に利用される恐れがある。発言を控えては」と言っておきながら、7月21日の社説では「A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉」と言うように、天皇の言葉は大変重く受取るべきだと言い出しました。これこそ調子のいい、天皇や皇族の政治利用そのものです
 公式の発言ではないものをメモして、死後に発表するなど全く卑劣としか言いようがありません。これなら昭和天皇を利用してどんな内容でも捏造することが可能になってしまいます。又、朝日などは以前に天皇の政治利用を手厳しく騒ぎ立てたことがありますが、今回、日経をはじめ朝日やNHKのやっていることは、まさしく天皇の政治利用です。
 この日経記事の「冨田メモ」に関して、当時の側近、徳川義寛氏の証言とも言える「侍従長の遺言」(昭和天皇との50年)と、寺崎英成氏の「昭和天皇独白録」を引用して、日経記事の内容との関連を見てみたいと思います。
 また、富田朝彦氏の昭和50年12月9日の内閣委員会での答弁を紹介されている東亜の葉っぱさんもご参照下さい。
 徳川義寛氏は、1936(昭和11)年に侍従、1985(昭和60)年から侍従長、1987(昭和62)年からは侍従職参与を勤められ、1988(昭和63)年4月まで側近として仕えられました
 「侍従長の遺言」は、朝日新聞編集委員だった岩井克己氏が、徳川義寛氏から取材した内容を本にしたものです。
 寺崎英成氏は、日米開戦まで在ワシントン日本大使館詰めの一等書記官で、昭和21年から昭和天皇の通訳官を務め、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道男侍従次長、稲田周一内記部長と共に、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものが「昭和天皇独白録」です。では、この両書から、今回の「冨田メモ」に関連する部分を引用してみます。
 まず「侍従長の遺言」(1997年出版)より引用します。ここでは著者の解説ではなく、徳川氏本人が発言したとされている部分のみ、そのまま引用します。
tokugawa.jpg
引用開始
 「松岡洋右さんはエキセントリックな人でしたね。昭和十五年の夏には、大使二人を除く外務省の幹部をほとんど替えちゃった。『外交官はいままでのようじゃだめだ』などと言ってね。そして翌年の日ソ不可侵条約」
 「スターリンと条約を結んでから帰国した松岡さんはスターリンのことを『さん』づけで呼ぶんですから。ご陪食の後のお茶の席で、盛んに『スターリンさん』なんて呼んで、語り草になっていたものです。
・・・略・・・
 「A級戦犯はその十年くらい前に厚生省から『戦争による公務死亡者』として名前が靖国神社に届き、神社では昭和四十六年六月三十日の総代会で合祀する方針を一応決めたのですが、『合祀の時期は宮司に任せる』ということで、宮司の筑波藤麿さんがずっと延ばしてきていたのです。ところが宮司さんが筑波さんから松平永芳さんに代わって、間もなく実施に踏み切られることになった」。
・・・略・・・
 「私は、東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです。永野修身さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから」。
 「でも当時、『そちらの勉強不足だ』みたいな感じで言われ、押し切られた。私は松岡さんの例を出して『おかしい』と言ったのだが、東条さんのことで答えられ、すり替えられたと感じた。靖国神社には軍人でなくても、消防など戦時下で働いていて亡くなった人は祀っている。しかし松岡さんはおかしい。松岡さんは病院で亡くなったんですから」
・・・略・・・
 「筑波さんのように、慎重を期してそのまま延ばしておけばよかったんですよ。それで中曽根首相が参拝して、ワッと言われたんです」。
引用終わり

 ★この著者が朝日新聞関係ということもありますが、最後の中曽根首相の参拝をワッと騒いだのは誰だったでしょうか?また南京大虐殺も本当にあったように書かれていますから、全ての内容が信用できるようにも思えませんが・・・
 
 次に「昭和天皇独白録」から引用してみます。ここはすべて昭和天皇のご発言となっている部分です。()内は著者又は管理者が追加。
dokuhaku.jpg
引用開始
 「ソ連を相手として構想された日独同盟論は独ソ不可侵条約突発のため、平沼内閣の倒壊と同時に一時その姿を潜めたが、この頃に至り、欧州におけるドイツ勢力の拡大と東亜における日米争覇の趨勢は、以前とは全く別個の構想の下に再び日独同盟論の台頭を促した。同盟論者の趣旨は、ソ連を抱きこんで、日独伊ソの同盟をもって英米に対抗し、もって日本の対米発言権を有力ならしめんとするにあるが、一方ドイツの方から云はすれば、もって米国の対独参戦牽制防止せんとするにあったのである」
・・・略・・・
 「松岡は二月の末にドイツに向かい四月に帰ってきたが、それからは別人の様に非常なドイツびいきになった、恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」。
 「現に帰国した時に私に対して、初めて王侯のような歓待を受けましたと云って喜んでいた。一体松岡のやることは不可解の事が多いが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている」。
 「松岡はドイツから帰朝の途ソ連と中立条約を結んだ。これは独伊ソを日本の味方として対米発言権を強める肝に過ぎない、それ故シベリア鉄道を東行してイルクーツクを通過する頃には早や沿線の兵備を視察して他日の戦争を夢想していたし又露都でスタインハート米大使と懇談した事が日米交渉の端緒となったと思って得意になっていた頃にはこの交渉にも乗気でいたが、帰朝后、この交渉が重臣方面の手で開かれたと聞くや急に横車を押す様になった」。
 「五月(正しくは六月。ドイツのソ連侵攻直後)松岡はソ連との中立条約を破る事に付いて私の処に云って来た。これは明らかに国際信義を無視するもので、こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷める様云ったが、近衛は松岡の単独罷免を承知せず、七月に内閣閣僚刷新を名として総辞職した」。
引用終わり。

 ★昭和天皇がA級と言う言葉を使われたのかどうかも疑問ですが、では東条氏についてはどうだったのでしょうか。同じく「天皇独白録」を見てみましょう。
引用開始
 「元来東条と云う人物は、話せばよく判る、それが圧政家のように評判が立ったのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持ちが下に伝わらなかったことと又憲兵を余りに使い過ぎた」。
・・・略・・・
 「東条は一生懸命仕事をやるし、平素云っていることも思慮周密で中々良い処があった」。
・・・略・・・
 「参謀総長を兼ねたこと、大東亜省を設けた事は、私は賛成出来ないことであったが、その外の事例えば支那との約束を守る考えでいた事などは良い事であった」。
引用終わり。
 ★以上のような点からも、そしてこのような「富田メモ」を持ち出すなら、ここに掲載したものの他にも昭和天皇の言葉は色々な文献で見ることができます。それらを総合的に比較検討して、昭和天皇が今回のマスコミが言うように、不快感を持たれていたかどうかを論じるべきでしょう。

 ★ご存知の方も多いと思いますが、靖国神社について簡単に沿革を掲載しておきます。

 【靖国神社の起源】
 靖国神社は1868(明治元)年、ペリー来航以来、勤皇のために倒れた志士を祀るための慰霊祭がその起源です。
 しかし、これは国家が唐突に行ったのではなく、それ以前に戊辰戦争の犠牲者を維新諸藩が「招魂際」として慰霊し、招魂社が地域の守護神として祀られていたものを国家が引き継いだものです
 翌年九段坂下に仮設の本殿・拝殿を建設し招魂際を行い、これをもって創立としました。このときは「東京招魂社」と呼びました。
 1872(明治五)年本殿が竣工。1879(明治十二)年6月4日、「靖国神社」と改名しました。
 靖国神社の御祭神は国事殉難者で、この中には勤皇の志士や戊辰戦争・西南戦争等の内戦の戦没者、日清戦争・日露戦争・支那事変・大東亜戦争にかかわって死没した人々が祀られています。

 【戦後の靖国神社の扱い】
 ≪靖国神社焼却計画≫
 「ポツダム宣言」にしたがって降伏した「有条件降伏」を「無条件降伏」に摩り替えた占領軍は、日本の復讐を恐れ、日本人の激しい敢闘精神・抵抗心を根源から打ち砕こうと、靖国神社焼却計画を考えました。これはGHQ内では多数意見でしたが、さすがに躊躇があり、ローマ教皇庁のヴァチカン代理公使ブルーノ・ビッター神父に意見を聴くことになります。ビッター神父は次のような意見を述べ、結局マッカーサー最高司令長官は靖国神社焼却という暴挙を中止しました。
 「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。靖国神社を焼き払ったりすれば・・・歴史はそのような行為を理解しないに違いない。・・・犯罪行為である。・・・国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言する」

≪宗教法人化≫
 1946(昭和二十一)年2月「宗教法人令・改正勅令」が出され、別格官幣社であった靖国神社は宗教法人となるか解散するかの選択を迫られ、緊急避難的に宗教法人として登録されました。1951(昭和二十六)年「宗教法人法」が制定され、まだ日本は占領下にあったため、靖国神社は宗教法人として登録し直すよりほかありませんでした。そもそも靖国神社は、宗教施設といっても教義も教祖も信者もなく、他の一般の宗教団体とは異なる存在です。

 ≪靖国神社国家護持法案≫
 1968(昭和四十三)年、明治百年の年、国事殉難者に対し公式に感謝するための靖国神社を、一宗教法人から昇格させようと、「靖国神社国家護持法案」の制定を求める運動が起こります。そして800万人余りの署名を集めた陳情書が提出されましたが、全国に学園紛争が発生しこれに労働組合が呼応し、世の中が騒然として明治百年記念は影が薄くなったため「靖国神社国家護持法案」は審議未了で廃案になってしまいました。
posted by 小楠 at 07:49| Comment(7) | TrackBack(9) | 日本人の独り言
この記事へのコメント
今回の演出の黒幕は誰か・・??? どういう経緯で出てきたのか、そして内容が実際昭和天皇の御発言なのかどうか、公表する前に検証されたのでしょうか。多分されていないと思います。更になぜ日経からこのスクープが出たのかも不思議ですね。あるサイトでは、今年2月に判明した日経社員によるインサイダー取引に対する強制捜査日が7/20で、富田メモによってニュースから隠れてしまったことを指摘していました。何れにせよ、この富田メモの白黒をはっきりさせるべきだと思っています。
Posted by カピタン at 2006年07月22日 12:31
>>公表する前に検証されたのでしょうか

検証はされていないようですね、入手の経路、日時なども日経は答えないようです。
昭和天皇のご発言については、富田以上に間近に仕えた方々の記録が多くありますので、何も富田メモだけでなく他の比較できる内容も日経は掲載するべきでしょう。
Posted by 小楠 at 2006年07月22日 13:01
徳川氏が侍従長を退任したのは、昭和63年(1988)4月13日です。富田メモの2週間ほど前です。25日の昭和天皇の記者会見でも氏の退任についてご質問がされています。氏が侍従職参与になったのは、63年と思います。
Posted by ほそかわ at 2006年07月22日 17:06
ほそかわさん、有難うございます。
この「侍従長の遺言」によりますと、87年4月から侍従職参与となっているのですが、これが間違いでしょうか。
88年4月の方が辻褄があうように思いますが、著者が間違ってるのかな。
Posted by 小楠 at 2006年07月22日 20:02
http://miraclemiracle.seesaa.net/article/21176523.html (miracleさんのミラクルな日常)さん が偽メモの証拠を
2チャンネルからコピペ して掲載されてます、産経新聞に通報したそうです。
86 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/07/21(金) 15:11:29 ID:+1F+FDUl
先程、以下の意見書を産経新聞に送りました。もし明日の朝刊で産経が同様の記事を書いていたら、
2ちゃんがマスコミを動かした事になります。みんな明日を楽しみにしていてくれ。

Sub:富田メモが昭和天皇発言ではない事が解明できました。

産経新聞様

「2ちゅんねる」で富田メモの3ページ目を解読した者がいます。テレビのキャプチャー画面から
3ページ目の裏に写った文字を反転と画像補正で鮮明にし読み取る事に成功しています。
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060721082842.jpg

                63.4.28 〔■〕                  4.28 〔4〕

クリックして 詳細をお読みください。
「反日ワクチン」様 貴重なご本の提示をありがとうございます、早速 注文して読ませてもらいます。日本の終戦の混乱期の苦悩やドタバタやGHQ焚書などや関係者の高齢やら死亡やらで 貴重な昭和の重大な民族の悲劇を埋もれたまま放置してたり、勉強不足で、くだらない塵メモや マッチポンプのマスゴミに躍らせられて子馬鹿にされて頭に来ています。無責任体質のマスゴミの「一斉にバスに乗り送るな」主義は腹だたしいですねー。ご苦労様でした。
Posted by ようちゃん at 2006年07月23日 06:24
ようちゃん
お知らせ有難うございます。
このメモの内容の真贋検証は大切だと思いますし、入手経路、何故日経新聞なのか、メモの上の部分がマスコミでは、ほとんど公にされないこと。また、どんな内容であろうとも天皇の私的な発言を公にするような宮内庁長官の関係者は絶対に許せないと思います。
Posted by 小楠 at 2006年07月23日 12:58
靖国は宗教法人ではないと強弁されて
いるようですが、拝むという行為は
宗教行為ではないのでしょうか?
しかも、英霊を神として祀っているのも事実でしょう?
あんた変ですよ。
中途半端なわけのわからんことをいうのは
昔から狂人だと、相場は決まってる。

Posted by kouji at 2006年07月29日 21:24
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