2006年07月21日

通州事件・支那事変

 近現代史の復習15
 カテゴリー<近現代史の復習>で、反日、左翼、新聞、テレビから発する嘘、隠蔽、捏造での汚染を予防するため、正しい日本の近現代史の一連の流れをまとめておきたいと思います。
 ここでは、「近現代史の必須知識」を参考、引用して、日本人として知っておくべき近現代史を簡潔に掲載していきます。学校では習わなかった(教えられなかった)ような内容も多々あると思いますが、その部分が戦後の日本教育の歪であると理解されれば、反日や左翼の意図が見えてくるのではないでしょうか。

 【支那側の挑発】
 1937(昭和十二)年
7月25日 「廊坊事件」:電線修理に派遣された電信隊が支那軍に攻撃される。

26日 「廣安門事件」:北平・廣安門を通過中の天津駐屯の大隊が支那軍より乱射を浴びる。

27日 陸軍中央は、11日・22日と2回にわたり見合わせていた内地3個師団の動員をついに下命。
28日 天津軍、支那第29軍に全面攻撃を開始。
29日 「通州事件」:日本人居留民惨殺される。

 【通洲事件】
 盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件
 これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。
 旅順口事件・済南事件・通州事件など、みな支那伝統の虐殺事件です。眼球を抉り出したり、腹を割って内臓を引き出したり、陰部を切り取るなど、猟奇的な殺し方で、日本にはこのような習慣はありません。なお、直前に通州の支那軍に関東軍が爆撃した際、誤爆により冀東保安隊に死者が出る事件がありましたが、関東軍は冀東政府の長官に謝罪し、犠牲者の遺族に弔意を示し、この件は解決しています。
 「通州事件」はその余りの残虐さに、日本の世論は沸騰し、南京攻略動機の一つになっていますが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。

 【通州事件の残虐性の証言】
 以下は東京裁判で受理された「通州事件」の現場目撃証言の抜書きです。
「陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。子供は手の指を揃えて切断されていた。主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

 【戦線の拡大と和平努力】
1937(昭和十二)年
8月4日「船津和平工作」成立。日本は満洲事変以後得た諸権益を全て放棄する(支那側の要望とほぼ一致)。支那側は満州国を黙認し、反日運動を取り締まる。

9日 「船津和平工作」の最初の会談が行われた日に「大山事件」が起こる。
 大山勇夫中尉が上海で支那保安隊に包囲され、機関銃で撃たれ頭を青竜刀で割られる。支那側は大山中尉が支那兵を射殺したのが原因と主張するが、証拠の支那兵の死体は事件当初路上にはなく、後で置かれた。さらに大山中尉はピストルしか持っていなかった上に袋に入れたままであったが、支那兵の死因は後方より小銃で撃たれたものであった。これにより「船津和平工作」は中止となる。

11日 支那軍の偽装保安隊が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し陣地構築を開始した。

13日 朝、支那便衣隊(民間服を着た兵)が日本の警備兵に発砲。日本軍は応射しなかった。夕方、支那軍が砲撃を開始したため、日本軍は支那側の拠点を焼き討ちした。夜、日本政府は内地2個師団の上海派遣を決定した。

14日 支那爆撃機が上海の日本の陸戦隊や市街地、さらに共同租界・フランス租界を攻撃。これは第三国に被害を与え対日非難をさせようという支那側の意図で、日本軍も支那空軍基地を爆撃した。☆これについては中国戦時下の虚偽を参照して下さい。

15日 支那は全国総動員令を発し、日本は「上海派遣軍」の派兵を決定。こうして全面戦争となる。同時に日本は、不拡大方針、領土的意図のないこと、南京政府の挑発的言動の停止要求等の「政府声明」を発表した。
以上が第二次上海事変です。

9月2日 当初「北支事変」と呼んだ盧溝橋事件以来の紛争を「支那事変」としました。

10月20日 日本は「第十軍」を編成し、上陸。

11月 5日 日本は和平の仲介をドイツに依頼し、トラウトマン中華大使を通じ和平条件を提示した。これが「第一次トラウトマン工作」ですが、蒋介石はこれを拒絶しました。

7日 「上海派遣軍」と「第十軍」を合わせ「中支那方面軍」とする。

9日 日本は上海全地域を制圧。

15日 広田外相はアメリカのグルー大使に仲介を依頼したが、積極的な斡旋はなかった。

19日 南京の国民党政府は首都を重慶に移すことを決定。

12月1日 大本営は、中支那方面軍に対し、南京攻略を命じる。
7日 蒋介石南京脱出。南京城は、唐生智率いる10万の兵に任されます。

9日 日本軍は南京城を包囲し、降伏を勧告。返答なし。

10日 午後2時南京城攻撃開始。
12日 南京防衛司令官・唐生智は城内から脱出。敗残兵の中には、市民の服を奪い安全区へ潜り込む者も多かった。
★この時から六週間にかけて南京で大虐殺があったと言う大嘘が宣伝されています。30万人を六週間でです。一睡もせず毎日七千人以上をどうして殺して、死体の始末はどうしたのでしょうか?、また沢山の外人やマスコミがいるのに、毎日出てくる死体の山の写真もまったくありません。もういい加減に中国の嘘に対して政治家までが反応し、今回の古賀誠のように記念館に献花するなどという漫画みたいなことはやめにしたいものです

13日 南京城は日本軍によって完全に占領された。

17日 入城式

26日 再度ドイツのトラウトマンを通じ和平条件を提示した。「第二次トラウトマン工作」である。しかし南京攻略後であるため、新たに日本に対する賠償などの条件が追加されており、支那側は曖昧な回答を送ってきた。

 日本と蒋介石の和平を望まなかったのは誰かを考えると、自ずとそれはコミンテルンの方針でその指令の下、国民党に潜り込んだ中国共産党分子であることは明白でしょう。これにアメリカ政府に潜り込んでいた共産主義者で蒋介石の軍事顧問オーエン・ラティモアの和平妨害工作があったと言われています。
posted by 小楠 at 07:20| Comment(4) | TrackBack(2) | 近現代史の復習
この記事へのコメント
日本人と根本的な民族性の違いが支那人の残虐性ですね。それは今になっても変らないと思います。「通州事件」を始め隠された事実を日本の近現代史に記述し、教科書などにも記載していくことが今後の課題でしょう。
Posted by カピタン at 2006年07月21日 08:17
ありもしない南京虐殺などを教科書に載せ、本当にあった南京事件や通州事件を隠蔽するとは、一体この国は共産党独裁国のようではないですか?
このあたりからも日本を改革していかないとだめですね。
Posted by 小楠 at 2006年07月21日 08:51
南京の真実とチャンネル桜を見るべきだね。

5月30日はNHK包囲抗議デモだね^^

前回の事件はどのマスコミも取り上げなかったね^^

マスコミのさらに死んだ日だって^^(N・K先生)
Posted by 草莽 at 2009年05月23日 01:12
本当にNHKは日本の国営方送ともいえるものなのに、南京事件など支那国民党軍が捏造した事件をさも真実かのように報道し、日本人(日系朝鮮人も含む)が大量にレイプ、虐殺された真実の事件は報道しないというどこの国の報道機関なのかわからない会社だ 中共支那こそ残虐な屑野郎だ、もっとも支那人自体は古代から常に周りの異民族(鮮卑、蒙古、女真人など)に支配され続けた奴隷民族、しかし、その奴隷にさえ奴隷にされたのが奴隷中の奴隷=朝鮮人=韓国人→火病
Posted by 大和タケル at 2010年06月17日 20:52
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【コピペ】通州事件 1937年(昭和12年)7月29日
Excerpt: 当時通州には、日本軍守備隊と特務機関が在留邦人の保護に当たっていたが、事件当日は、少数の憲兵と通信兵が守備しているに過ぎず、その間隙を狙って、日本人虐殺が決行された。  事件は真夜中に起きた。中..
Weblog: 【時事とコピペ】
Tracked: 2006-07-31 21:38

NHKその時歴史を変えた2
Excerpt: NHKは何としても日本が支那を侵略し、軍部が暴走し、南京大虐殺を行っていないと都合が悪いらしい。 というわけで支那事変拡大のつづき
Weblog: 神のいどころ
Tracked: 2006-08-27 12:11