2008年07月24日

チャンギ―刑務所

復讐の鬼ワイルド大佐

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回も、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの抜粋です。

引用開始
 シンガポール島の東岸に、施設されているこの刑務所ほど、騎士道と武士道を誇る東西両文明国民が、怨讐をむき出しに応酬した場はないであろう。・・・・
 凶悪犯人を護送する物々しさで、私が、この獄門を潜らされた時、三千名を越すわが将兵や軍属が、ABC数個のブロックに区分されて収監されていた。私は洗いざらしの、半そで、半パンツの獄衣、裸足の惨めな姿に変えられた。獄衣の背番号はPCW(戦犯容疑者)六千代であった。
 刑務所の有様は、さながら地獄の涯、賽の河原を思わせるものであった。畜生を扱うに等しい警備兵の仕打ち、飢餓ぎりぎりの乏しい粗食、陰険苛烈な訊問、神の裁きを詐称する前時代的な復讐裁判、獄の一角で次々と執行される絞首刑等、陰惨を極めた。将兵は骨皮同然に痩せさらばえ、渋紙のように陽焼けし憔悴していた。明日をも計り難い己の運命、くずれ去ったわが陸海軍、破れ果てた焦土の祖国、安否の程も知り難い肉親を思って懊悩していた。

 私は幸に、承詔必勤、一億総ざんげ、石をかじり、木の根を喰んでも、占領下の苦痛に堪え抜いて、国土の再建を期していた終戦直後の祖国と同胞を知っていた。(その後、あさましく変貌したが)そして、四億民衆を挙る印度のすさまじい独立抗争やINA将士の剛毅な闘魂を、レッドフォートで見聞してきた。その上、印度を初め東南亜諸民族独立必至の機運と彼等の日本に対する感謝と理解と親近の情を皮膚に感得してきた。・・・・
 私は一年有余を、この刑務所とクアラルンプールの刑務所に過ごした。この間、三百名に近い先輩や僚友が、獄門に下り、絞首台に上った。・・・
 読者は、山下、パーシバル両将軍降伏談判の寧真を見て頂きたい。そのパーシバル将軍につき添って、通訳を努めている白ルの青年参謀が、ワイルド少佐―終戦時大佐に昇任―である。
 大佐は、戦前日本に駐在した経歴がある武官で、日本語を解する俊秀である。降服とともに俘虜の身となり、戦友英豪兵とともに、日本軍に駆り立てられて、映画「戦場に架ける橋」で有名な泰緬鉄道の工事に駆使せられ、日本軍に対して骨髄に徹する恨みを抱いた一人であった。その大佐が、この地区の日本軍に対する戦犯追及の立役者になっていたのである。・・・・

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posted by 小楠 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物