2008年07月18日

隷属民族は闘う権利あり

INA軍事裁判の逆効果

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回も、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの抜粋です。
写真は第一回インパール戦没戦友遺骨収集に参加してモイラン村民から熱烈な歓迎を受ける筆者(中央)後方の建物はもとINA情報本部が置かれていた。(昭和27)
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引用開始
 第一回INA軍事裁判の進展にともなって、印度民衆の反英独立抗争は、業火のように全印度に燃えさかり、激しさを加えた。印度は猛り狂う巨象の形相に変わった。英帝国が印度支配の再強化を狙って始めた軍事裁判であったが、その裁判が逆に、英帝国二百年にわたる印度支配の罪業を裁き、その支配に終止符の引導をわたす形勢に発展した。
 反英抗争は、大衆の全国的抗議暴動、議会における糾弾、新聞、集会を動員しての宣伝を背景として、水も漏らさぬ周到巧妙なはげしい法廷闘争によって押し進められた。
 信仰と種族、階層と言語、政党政派、軍民一切の相違を超え、四億の印度民族が、その全知全能全精力をふりしぼって、火の玉となって決起進撃するこの図は、史上稀有の光景であった。正に民族の運命をこの一戦に賭けんとする民族の綜合大戦争というべきものである。

 大衆の抗議運動は、裁判開始の十一月五日、デリー、カルカッタ、ラホール、マドラス等の主要都市に烽火を挙げた。この日、ネタージ・ボースの生誕地カルカッタでは、十万の大衆が手に手に「INA愛国の英雄を救え」「INAの裁判を即時中止し釈放せよ」「英人は印度から即時去れ」「印度の統治権を印度人に返せ」と檄したプラカードを掲げ、大デモ行進を展開した。随所に、警官隊と衝突、流血の惨事を繰り広げた。マドラスでも多数の死傷者を出す騒ぎとなった。
 英国は、未だこの騒然たる情勢の本質と帰趨を見抜くことが出来なかったのか。翌六日に「目下監禁中のINA将士の中から首謀者四百名を、向こう六カ月間に裁判に付す予定である」と、強気の発表を行った。この発表が、ますます印度民衆の怒りをあおった。大衆の抗議デモはいよいよ激化してゼネスト、暴動に発展して行った。・・・・
 デリーのデモは、特別警戒地帯に指定され、警戒最も厳重な、このレッドフォートに殺到した。天空を画する城壁の外側に、喊声が、押し寄せる高潮のように、どよめき迫ってきた。何万の民衆の怒りをこめて。城内に拘禁されているINA将士も、私達も、固唾を呑んで、その成り行きに全神経を尖らせる。喊声が一段と高まり、近づいたと思う途端、ダダッ、ダダッ、と連発の銃声が城壁にこだました。血を見て群衆の怒りが爆発したのか、喊声はウォーと怒号のはげしさに変わった。息詰まる緊張が城内を圧する。
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posted by 小楠 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物