2008年07月15日

英国の印度政策の誤謬

印度独立の契機を与えた日本

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回も、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの抜粋です。
写真は日本軍に協力してインパール作戦にあたったINAのシャヌワース連隊長
Forg16.jpg

引用開始
 元英印軍出身INA将兵一万九千五百名の処置は、英帝国戦後処理の最も重要かつ難題の一つとなった。戦後の印度統治の成否を左右する大問題であった。1857年サボイ反乱以後の不祥事であった。殊にその処置の当否は、英帝国印度統治の番犬、英印軍内印度人将兵の対英忠誠心に決定的影響を及ぼすことが予想されるだけに、いよいよ重大であった。
 英帝国は、INA反逆将兵を軍事裁判にかけて、厳刑に処することによって、英帝国の権威を誇示し、印度民衆特に、英印軍印度人将兵に対する見せしめにして、印度支配を揺るぎないものにしよう、それができると考えた。
 この決定は、事志と反対の結果を巻き起こすこととなった。・・・

 戦後トインビーやラティモアが指摘した大東亜戦争の史的意義と歴史の必然を予見し得なかったのであろうか。流石の英帝国も、戦勝の驕りと、飼犬と心得た将兵の反逆に対する憤怒のために。
 ガンヂー、ネールを初め、印度国民会議派の領袖は、英帝国の、この誤判を見逃さなかった。現英印軍印度人将兵と血縁、或いは知己の関係にあるINA将兵二万を厳刑に処せんとする軍事裁判こそ、英印軍印度人将兵を会議派側に獲得し、又これを利用して全印度民衆を反英独立運動に動員結集して、独立運動に決定的成功を収める天与の好機と読んだのである。あの抜け目のない英帝国が、正に会議派の思う壺にはまった形となったのである。
 そこで、会議派は逸早く、裁判の公開と会議派の弁護権を要求した。早くも九月十四日、ブーナにおいて、会議派執行委員会を開催、「INA将兵は印度独立のため戦った愛国者であり、即時解放さるべきである」との決議を採択し、これを宣言した。次いで会議派は、その長老の一人で、名弁護士として聞こえたフラバイ・デサイ博士を首席弁護士に挙げ、会議派指導層の中から、錚々たる一流弁護士を選りすぐって、大弁護団を編成した。そして先ず、印度民衆特に英印軍内印度人将兵に対して、会議派挙げての啓蒙宣伝と大衆動員を開始したのである。私達証人は、この弁護団が喚問したものであった。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物