2008年07月07日

蘭印アチェの蜂起

インドネシア対オランダ軍

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。
昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。

引用開始
 Fメンバーたるサイドアブバカル君など二十名の同志がスマトラに帰ってから、その宣伝はプサ団の共鳴を得て、文字通り燎原の火のごとく全アチェに拡大した。オランダの圧迫とその重要公共施設の破壊準備の進捗に伴って、アチェ民族のオランダに対する反抗気運は頂点に達した。プサ団の使節が日本軍との連絡に成功したとのピナン放送は、シンガポール陥落の東京放送と相まって、いよいよアチェ民族を勇気づけた。
 反乱は二月二十三日夜、スリモム町においてトンクアブドル、ウハブ指揮の下に、オランダ、コントロレユールの郵便局襲撃をもって開始された。そのころ既に、この町の兵営にあったインドネシア人のオランダ兵は、Fメンバーの一翼となっていた。その翌朝、反乱はオランダ軍の橋梁破壊阻止の暴動に発展した。すなわち、Fメンバーはオランダ軍がラム、ルポンよりラムバクにわたるクミル橋梁始め、二十個所の橋梁に装置したダイナマイトを除去せんとして決起したのである。この決起指令は既に二十一日発令せられ行動を開始していた。F字の腕章を付した三十名の武装決起隊がこれに参加し、見事にその取除きに成功した上、随所に隘路を遮断し、電話線を切断し、インドラプリの鉄道を破壊してその確保に当った。・・・

 このアチェの反乱気運に対抗して、コタラジャ地区のオランダ軍が増強された。
 これに対して三月四日、ルボーにおいてアチェ各地の代表者会議を開催し、全アチェ一斉に統一ある反乱を起すことを決議した。・・・
 三月六日、この決議は全域に檄された。更にオランダ政府官吏たるインドネシア人に対しては、即時辞職罷業せざればオランダ人と見做す旨警告が発せられた。これらの檄は政府にも警察署にも送付され、街頭は勿論、オランダ軍の装甲車にまで貼布された。三月七日には先ず各都市の自警団が罷業に入り、続々逃亡してFメンバーに加わった。オランダ軍が破壊を企図すべきすべての橋梁、製油所、貯油所、交通施設等一切の公共施設にFメンバーが配置され、ダイナマイトは片端から除かれた。三月七日、トク、ニヤ、アリフ氏はオランダ理事官に対して「アチェの政治をアチェ人に正式に返還すべし。しからざればアチェ人はオランダ人に宣戦すべし」との通告を発した。このころからアチェ各地の電話線は切断され、倒木による道路遮断が至る所で行われた。この不穏な形勢に対処しコタラジャ近傍のオランダ軍と官吏は兵営に集結した。
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posted by 小楠 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物