2008年07月04日

山王会議

ハリマオの死、岩畔機関

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真は山王会談から帰還したIIL、INA代表をシンガポール カラン空港に出迎える筆者。中央はモハンシン将軍、左はゴーホー氏、右はラガバン氏。(昭、17、4)
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引用開始
 三月二十日、山王ホテルにおいて四志士殉難の悲愁をつつんで、山王会議が開催された第一日の午前の会議には岩畔大佐と私に傍聴を許された。南方から上京したIIL、INA使節の四氏のほか、香港、上海、比島、日本の代表が列席してラース・ビハリー・ボース氏が推挙されて議長の席についた。しかし何故か、在日印度人の有力者であり、また独立運動の代表的人物であるサハイ氏の姿が見当らなかった。プラタップ氏も参列していないのが私には奇異に感ぜられた。

 正面の壁間には印度と日本の大国旗が飾られていた。まず議長が立ってIIL、INA使節四氏の殉難の予想を悲しんだ後、遠来の各地使節に対する歓迎の辞を述べた。次いで、東条声明において宣言された日本の印度独立支援に対する基本態度と日本軍の勝利によって急速に到来されつつある印度独立の天機について感激の意を表し、またIIL、INA使節の南方における挺身的活動を絶賛し、感謝を述べた。更にこのたびの山王会議においては、まず各地代表の懇親を結び、自由かつ率直に印度独立に関する政治問題を討議し、祖国解放のため全東亜印度人の政治的結束を計る方策を探究せんとするにある旨を披歴した。私はボース氏の熱誠のこもった挨拶にも拘わらず、各地代表特にIIL、INA使節に与えた感銘は必ずしも期待されたように深刻ではないとの印象を受けた。しかし殉難四氏の素志を継いで、その念願を達成しなければならないという悲痛な決意も各代表の面に読み取れた。使節一行は会議の席上において、あるいは個別に、連日こもごも真摯なる意見の交換、討議の反覆を行った。その結果IILを東亜全印度人の印度独立運動団体として確認された。そして五月中旬、バンコックにおいて名実共に全東亜印度人代表をこぞる公開のIIL大会を開催し、連盟の組織、運動の方策を再討議することとなった。

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posted by 小楠 at 07:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物