2008年07月03日

ビハリー・ボース

東京会談とプリタムシン氏ら四人の遭難

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真は山王会談に先立って行われたIIL指導者会議のメンバー。中央の筆者より向って左へプリタムシン氏、モハンシン将軍、メノン氏、同じく右へギル中佐、ゴーホー氏。
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引用開始
 プ氏は新段階に対処するためにマレイ、シンガポールのIIL支部長会議をシンガポールに招請し、モ大尉はシンガポールにINAの全兵力を集結して、INAの強化拡充について日夜奔走しつつあるとき、東京の大本営から南方軍総司令部を経て一通の電報が私のもとに着いた。その内容は日本大本営の肝入りで、東京にあるラース・ビハリー・ボース氏(新宿中村屋の主人相馬氏の女婿)が、東亜各地の印度人代表を招請して祖国印度の解放に関する政治問題の懇談を遂げ、かたがた日本側との親善を計るため、マレイ、泰方面のIIL、ILA代表約十名を三月十九日までに東京に到着するように、招請されたものであった。なお、この電文には私が一行に同行すべきことと、岩畔大佐の上京とを要求されていた。・・・・
 三月十日、親善使節の一行と私はカランの飛行場を出発して東京への飛行の途についた。大田黒君が私に随行した。・・・・

 飛行機の都合によって、私達の一行は二組に分かれなければならなかった。岩畔大佐と私とモハンシン大尉、ギル中佐、ラバガン氏、ゴーホー氏、メノン氏の七名が一組となって東京に直行することとなった。大田黒氏、スワイミ氏、プリタムシン氏、アイヤル氏、アグナム大尉が一組となって別の飛行機で二日遅れてサイゴンを出発することとなった。三月十一日、私達一行はサイゴンを出発したが、私達の飛行機は海南島の飛行場でエンジンに故障を起したために二日間も滞在を余儀なくされた。・・・・
 私達の飛行機は台北、上海で各一泊のうえ東京羽田飛行場に着いた。・・・
 そして私達の搭乗機はスワミイ氏一行を迎えるために直ちに台北に引き返して行った。飛行場から大本営の案内で一行は山王ホテルに落着いた。上海からオスマン氏が、また香港からカン氏が使節として着京していた。三月も半ばの東京は南方の客達には極寒の思いであった。なかんづく一行の長老メノン氏は栄螺のように身体を縮ませて震えていた。東京における一行の案内や行事は私の手から離れて、大本営当事者の手に移った。誓いを共にし、生死を分ってきた友に、桜咲く祖国の風物を心行くまで、私が自ら案内することを楽しんでいた折柄、掌中の玉を奪われたような空虚な思いが私を襲った。
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posted by 小楠 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物