ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真はINA幹部、左からモハンシン将軍、ギル中佐、アグナム大尉

引用開始
昭和16年の年の瀬、12月31日も日没となった頃、アロルスターからモ大尉が予告もなく突然訪ねて来た。・・・・
モ大尉はおもむろに口を開いて、「われわれ将兵は数次の慎重なる協議の後、次に述べる条件が日本軍によって容認されることを前提として、全員一致、祖国の解放と自由獲得のため決起する決意を固めました。ついては、次のような取り決めが、日本側から快諾されることを希望します」と語った。モ大尉から提言された内容は、
「(1)モ大尉は印度国民軍(INA)の編成に着手する。(2)これに対して日本軍は全幅の支援を供与する。(3)INAとIILは差当り協力関係とする。(4)日本軍は印度兵捕虜の指導をモ大尉に委任する。(5)日本軍は印度兵捕虜を友情をもって遇し、INAに参加を希望するものは解放する。(6)INAは日本軍と同盟関係の友軍と見做す」等々の条件であった。私はモ大尉のこの決意と申出は、個人としては直ちに賛同し得るものがあった。しかし、きわめて重大な問題であり、軍司令官の意向を確認する必要があるので即答を保留した。・・・・
モ大尉の要望事項の一つ「同盟国軍に準じてINAを処遇する」問題については、公的な正式取決めは、現段階においては技術的に困難が伴うので、差当り実質的に希望に応ずることとして諒解に達した。INAの結成については、健全な育成に達するまで、差当り公表を見合すことに意見が一致した。モ大尉はINA本部を編成して、近日イッポ―に前進することとなった。
私とモ大尉の討議が完全なる諒解に達したので、私は直ちに山下将軍の司令部に鈴木参謀長と杉田参謀を訪問して、モ大尉の申出を報告し、私とモ大尉と討議の経緯を説明した。鈴木参謀長は同盟国軍として正式に取り決めることについては、私と同様の見解を明らかにしたのち、モ大尉の提案を容認し、山下将軍の認可を受けた。私はこの機会に、更にYMA副会長オナム氏やスマトラ青年サイドアブバカル君との接触についても詳細に報告した。鈴木参謀長、杉田参謀はこの接触の成功も非常に喜んでくれた。
私は急いで本部に引き返し、山下軍司令部のこの意向をプ氏とモ大尉に通告した。
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