ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真はシンガポール攻防戦で英軍の無条件降伏時の山下将軍

引用開始
17日正午、私はF機関と、IILのメンバーと、モ大尉グループの印度人将校、下士官全員合同の会食を計画した。食事は印度兵の好む印度料理を希望し、印度兵諸君の手料理をモ大尉に依頼した。その準備で警察署の裏庭は朝からごった返した。・・・・私が単に親善の一助にもと思って何心なく催したこの計画は、印度人将校の間に驚くべき深刻な感激を呼んだ。モ大尉は起って「戦勝軍の要職にある日本軍参謀が、一昨日投降したばかりの敗戦軍の印度兵捕虜、それも下士官まで加えて、同じ食卓で印度料理の会食をするなどいうことは、英軍のなかではなにびとも夢想だにできないことであった。英軍の中では同じ部隊の戦友でありながら、英人将校が印度兵と食を共にしたことはなかった。印度人将校の熱意にも拘わらず、将校集会所で、時に印度料理を用いてほしいと願うわれわれの提案さえ容れられなかった。藤原少佐の、この敵味方、勝者敗者、民族の相違を超えた、温かい催しこそは、一昨日来われわれに示されつつある友愛の実践と共に、日本の印度に対する誠意の千万言にも優る実証である。印度兵一同の感激は表現の言葉もないほどである。今日の料理と設備は藤原少佐の折角の依頼にも拘わらずこんな状況下における突然の催しであったため、きわめて不十分な点を御寛容願いたいといったような趣旨のテーブルスピーチをやった。
私は、ボース氏を思慕するモ大尉の念願に対して、率直にボース氏を今直ぐ東亜に迎えることは困難と思われるから、差当り東亜におけるIILのこの運動を発展させ、ヨーロッパにおけるボース氏の大事業と相呼応させて、印度の独立運動を世界的規模において、推進する着想をひれきした。モ大尉の念願を大本営を通じてボース氏に連絡すべきことをを約し、モ大尉始め印度の青年が奮起して第二、第三のボースとなることを激励した。
五日間の会談ののち、モ大尉は祖国の解放運動に挺身する決意に近づきつつあるように見えた。しかし、日本の誠意を更に確認すること、祖国の同胞特に会議派の支持を得ること、同僚印度人全将兵の堅確なる同意を得ることなどについて、更に慎重なる研究、検討の必要を認めている様子であった。私も又革命軍を結成して、革命闘争に立ち上るというような重大な事柄を、一朝の思いつきや感動にかられて決心しても成功するものではないと思った。モ大尉を始め印度将兵が全員一致、不抜の信念を固め、自発的に展開するものでなければ、絶対に成功するものではないと信じ、私はモ大尉に急ぐことなく慎重に熟慮されんことを切望した。プ氏も私と同意見であった。
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