2008年05月20日

知ってはならない歴史17

マッカーサーの悔悟

若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」の続編をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。

引用開始
 マッカーサーの米上院軍事・外交合同委員会聴聞委員会の証言(抄)です。
「・・・・(日本が)もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万人から・・・・失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れた。したがって、彼らが、戦争に駆り立てられた動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのだ・・・」
(1951・昭和二十六年五月三日・米上院軍事・外交合同委員会聴聞委員会証言)
 有名なマッカーサーの証言ですが、彼は日本の開戦責任について「安全保障の必要に迫られてのことだった」、つまり日本の正当防衛だったと述べているのです。終戦五年を経てマッカーサーは日米開戦の秘密・機微を知るに至っていたのです。彼はつぎのようにも証言しています。
太平洋でこの百年の最大の政治的な誤りは中国において共産主義に権力を握らせたということだと、全く個人的な見解ながら私はそう考えるのです」
(同日・ウイレー議員への回答)

 1950(昭和二十五)年10月15日、ウェーキ島でのトルーマン大統領との会談でもマッカーサーは「東京裁判は誤りだった」と告白しています。これも同委員会会議録に収められています。朝鮮戦争のさ中です。
 日米戦は痛恨の誤りであったとの彼の悔悟の念が行間に溢れているのは、開戦にいたるまでの秘密・機微を知るに至った経緯を抜きには理解できません。このように解するのは、筆者だけではないでしょう。・・・
 私がここで指摘したいのは、裁判開始を命じた当の本人・マッカーサーが米上院において、「・・・日本が戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのだ」と述べていることです。
 いわゆる自衛戦争・正当防衛戦争証言です。日本と戦った連合国軍の最高司令官が「日本の戦争は自衛の戦いだった」と言っていることを日本人は、いや日本のメディアは語ろうとはしないのです。書いたようにウェーキ島でトルーマン大統領にも、東京裁判は誤りだったと告白しています。日本のメディアは完全に黙殺しているのです。・・・・
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posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚から真実を