桂・ハリマン協定破棄は日本の錯誤
若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」の続編をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。
引用開始
日露戦争の講和会議は1905(明治三十六)年6月9日、ポーツマスで開始されました。
講和気運の高まる8月10日、アメリカの鉄道王ハリマンがニューヨークを発ち日本に向かいました。ハリマンは日本の戦時外債に協力した最も有力な人物だったことから政府・大蔵省・財界あげて大歓迎しました。
ハリマンは南満洲鉄道を、自分の経営する会社と共同経営したいと提案しました。日本側は戦後の経営を考えて、ここはアメリカの力を満州に引き入れた方が今後の対ロシアとの対抗にも有利と判断し、首相桂太郎は明治天皇の内諾も得て、桂・ハリマン協定として知られる仮条約(覚え書き)に調印しました。
ハリマンと入れ違いに帰国した小村寿太郎外相は激怒し、この仮条約を破棄しました。そして清国との条約で「南満洲鉄道経営については両国以外に関与すべからず」との一条を入れさせたのです。・・・・
ハリマンは激怒し「日米両国は十年もしないうちに戦争するであろう」とまで言いました。
1909(明治四十二)年、ハリマンは急逝しました。そして小村寿太郎も、この仮条約に尽力した伊藤博文も前後して率然と急死します。・・・
ここでは小村寿太郎外相たち、つまり日本の犯した誤ちの省察を記しましょう。
アメリカの排日移民問題の悪化について触れておきます。それは、日本人移民の増大を諜報との関係で警戒するようになっていたということです。日本人にはピンとこないことですが、移民とか亡命とかは、諜報と直結なのが常識です。・・・・
ここではアメリカ軍部の視線をトレースしましょう。
日本は下関条約で台湾を領有しました。台湾領有の戦略的な意味について、日本は深く解析した痕跡がありません。第一は、中国の沿岸部の交通路は琉球弧とあいまって、日本の支配化におかれたということです。これは今日でも重要なポイントなのです。台湾、沖縄は、中国の太平洋への出口を扼している、つまり封鎖しているのです。
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