2008年05月15日

知ってはならない歴史14

日本の国家分裂と敗亡の道。

若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」の続編をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。

引用開始
 日露戦争が日本勝利の形で終わりました。日本将兵の勇戦はもとよりですが、勝利は米英の日本支援の賜物でした。帝国主義の当時にあって、戦争に国際的な干渉はつきものです。十年前の日清戦争の時に、日本の指導者たちは予期以上の三国干渉に慌てふためき、そして臥薪嘗胆を合言葉に、干渉に膝を屈しました。
 日露戦争に干渉する列強はいないと、日本の指導者たちは考えたようです。なぜなら、日本の背後には米英がついていたからです。本当に伊藤博文たちがそのように考えたとしたなら、伊藤老いたりと言うしかないのが残念です。
 重ねて言いますがこうした時、干渉は米英から来るものです。ポーツマス講和条約が成立しそうになったと同時にハリマンが来日しました。そして、桂・ハリマン協定が明治天皇の内意を得て成立したのです。しかし、小村寿太郎外相はこの協定という仮条約を一方的に破棄しました。日本の仕打ちにアメリカ国内には怒りの声が充満しました。日本の仕打ちはそれだけではありませんでした。
 アメリカは満洲問題について、日本に特別の立場を認めるという「対日不干渉誓約」を取り付けられたのです。(1908・明治四十一年)。

 そして、怒りを秘めたアメリカが計画した鉄道建設計画(錦州〜愛琿間)を、なんとロシアと協調して中止させたのでした(1909・明治四十二年)。

 すでに見てきたように、このような日本の行動は、米英と世界のユダヤ社会の深い不信感を買うものでした。
 これは権威をかるつもりはありませんが、知遇を得ていた杉原千畝氏の慨嘆に拠っています。
 杉原千畝氏は1941(昭和十六)年5月、ドイツにあって独ソ開戦近しとの情報を日本外務省に入れるものの、当時の外務省主流の忌避に触れ、リストラの形で外務省を追われたお方です。終戦の後にユダヤ人へのビザ発給を咎められたというのは誤解です。
 桂・ハリマン協定の日本の裏切りが日本の運命の狂いの岐路だったと、述懐されたことがありました。同席者は亀山一二氏でした。氏は日米開戦時の外務省大臣官房電信課長でした。不意討ちだったのか、と聞く若輩の私に「国策に騙し討ちはない・・・陛下の前だよ・・・」と笑っておられたものです。・・・・
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posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚から真実を