日露戦争直接の原因
若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」という本をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。
引用開始
日露戦争の直接の原因は、ロシアの満洲・朝鮮への侵略である。日本はロシアの攻勢の終末点が日本にあることを知り、朝鮮が完全にロシア支配に落ち、満州のロシア軍の戦備完整(「完整」という日本軍の用語を用いる)の直前に日本は開戦を決定した。
文字通り国の存亡を賭けた一戦である。敗北したら、日本は滅びるしかないことを国民は自覚していた。このとき、大韓帝国も清国も日本の味方ではなかった。日本の頼みは英米の後援である。ロシアには清国の他に、仏独の後援があった。
ところで、満州はなぜロシアの支配下になったのか。それは露清密約の結果である。1896年(日清戦争終結の翌年)、ロシアの新皇帝ニコライ二世の戴冠式に出席した李鴻章は、大歓迎を受けるとともにウィッテから迫られ、攻守同盟を密約した。
主な内容は次の通りである
一、日本に対して、露清の相互援助
二、満洲でのロシアの鉄道敷設権の承認
三、鉄道の軍事利用権の承認
四、露清銀行の設立
五、東清(支)鉄道株式会社の設立
六、同社の土地と収入は無税、社有地内の絶対的な行政権
これは三国干渉の代価であるが、ドイツは山東半島の租借と膠州湾の九十九年の租借権、フランスは広州湾(広東)の租借地権(九十九年)を獲得した。対抗してイギリスは威海衛を租借地とした。
これは清国の以夷制夷の術策が完全に裏目に出た結果であったが、日本は露清密約の存在について、1922年のワシントン会議で中華民国が暴露するまでは知らないでいた。
これが満洲事変の要因のひとつとなるのだが、清国の半植民地化は自ら招いた結果と言うしかない。
別の観点から言えば、朝鮮半島の独立をめぐる日本との対立に端を発して、日清戦争に敗北するや三国干渉を導入して、ついには清国は独立国の実質を失うはめに陥ってしまうのである。そして、朝鮮はロシアの支配下におかれることになり、日露戦争を呼び込むことになるのだが、これらの経過を見るに東アジアの風雲は朝鮮半島の動向に左右されることを百年後の今日も教えている。
言葉を継ぐが、朝鮮半島の動向は日本には死活的である。大陸の勢力が朝鮮半島を制圧したら、この勢力は日本には直接の脅威となることは、元寇の例を引くまでもなく日本人には防衛本能的な常識であった(ある)。だから、十年前には国の運命を賭して日清戦争を戦ったのである。しかし、日本のこの常識はこの時期から痴れ始めていた。
清国がもし朝鮮の独立を認め、朝鮮の開化と近代化を認めていたなら、日清戦争はなかった。歴史に「たら」「イフ」はないが「大陸・半島・島国」のこの原理は、今日でも生きている。朝鮮半島をソ連が支配しようとしたとたんに、朝鮮戦争が起こった。マッカーサーをはじめアメリカ人は、日本が日清戦争以来、大陸で何を相手に頑張っていたのかを初めて理解したのである。
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