2008年04月25日

知ってはならない歴史2

日本人が「知ってはならない」戦後の追撃戦

 若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」という本をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。
これは特にお薦めしたい本です、是非購読してみて下さい。

引用開始
 支那事変は日本の侵略という。しかし、支那事変を始めたのは日本ではない。盧溝橋事件は、中国共産党軍の日支両軍への発砲により始まったものであり、そして、その背後にはコミンテルンの世界革命の戦略が深く関わっていた。民国政府・軍部も日本も盧溝橋事件の拡大を避けようとした。しかし、停戦協定がなるたびにテロが繰り返された。これらのテロは、コミンテルンの指示・支持を受けた中国共産党が実行したものである。
 大陸の日本人へのテロに憤激した軍部が、戦火を拡大していったという話は、非常に不正確なハナシである。事態はそんなに単純ではない。陸軍の参謀本部、海軍の軍令部もともに不拡大・収拾の方針であった。ただ陸軍省・海軍省が一撃後和平と割れていた。
 問題は日本政府の内部にあった。昭和に入ると、日本の政官界の内部には多数の共産主義者が要路に潜伏するようになっていた。コミンテルンの人民戦線戦術によるものである。先に書いたように、日本には一撃後和平論者はいたが、日本には支那事変拡大派はいなかった。ただし、二人だけいた。尾崎秀実と、工作された近衛文麿である。

 表の共産党は当局の取り締まりで、ほぼ壊滅させられたまま終戦にいたる。獄中十八年とかの「英雄的闘士」は、表の部分の残党にすぎない。獄中とは、生命と三度の食事が保証された世界である。善良な国民は職域に殉じ、戦陣に倒れていった。獄中での拷問を口にする人がいるが、内務班の辛さと戦地の地獄を思えば、獄中など天国だと吐き捨てるように言う多数の元兵士たちを、私は知っている。
 コミンテルンは、主戦力は潜り込ませたのである。尾崎・ゾルゲ事件は露頭部の一部にすぎない。これは捜査が中途で終っているからである。
 北進してソ連と対峙する路線が、なぜか米英と対決する南進に転換していった過程は十分に研究されなければならない。今や資料の類は続々と明らかになりつつある。
 中国大陸での泥沼の戦線に日本の大軍を貼り付け、ソ連への脅威を減じ、そして列強同士を噛み合わせるというコミンテルンの政策について、ひとり日本や中国にとどまらず米国の政策決定に関わる研究が急がれている。ルーズベルト政権内部にコミンテルンの影響の痕跡が歴然としている。日本、米国、中国(民国)ともにコミンテルンには存分にやられたのである。・・・・・朝鮮戦争の勃発とともに、マッカーサーは自分がかつての日本が歩んだのと同じ道を進んでいることを知り、愕然となった。日本がマットに沈んだら、たちまち中国、朝鮮、ベトナム、カンボジアは共産主義の制するところとなったからである。
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posted by 小楠 at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚から真実を