2008年04月10日

ヘボン博士のローマ字

ヘボンの『和英語林集成』

今回ご紹介している「ヤング ジャパン2」の著者ジョン・レディ・ブラックは1827年スコットランドに生まれ、海軍士官となった後、植民地のオーストラリアに移って商業を営んだが、友人から聞かされていた美しい景色と人情の国日本訪問を考えていた。事業の失敗後、本国へ帰る途次に観光程度の気持で立ち寄った日本に結局十年以上も滞在し、日刊の『ジャパン・ガゼット』を発行しました。本書「ヤング・ジャパン」は1880年(明治十三年)に出版されています。
写真はヘボン博士
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引用開始
 「宣教師は外国交際の害毒となっている」と、常にある人々は強調してきたし、たぶん今後もそう主張し続けるだろう。その主張とはこうだ、「中国人と日本人とが外国人に示している憎しみは、すべては宣教師に対する嫌悪に由来している。したがって外国人と日本人の間に友情を拡める最善策は、宣教師を一人残らず、どんな名目でもよいから、船に乗せて送り帰してしまい、日本人の宗教に干渉しないことだ」と。幸に、これはすべての人の意見ではないし、多数の意見でもないと思う。これは、極めて誤った意見だ、と私は確信する。

 宣教師が有益であるか、どうかという一般問題に立ち入るつもりはない。教団内の個人個人の宣教師が、日本人の間で果した善事については、多くの実例が挙げられやすい。だが、若干の宣教師の労苦が、中国と日本の双方において、信者以外の同胞に与えた恩恵まで、疑う人はあるまい。
 神奈川が開港すると、真っ先に日本に来た人々の中に、家族連れの二人の宣教師がいた。S・R・ブラウン氏とヘボン博士だ。二人は神奈川で、アメリカ領事館からほど遠からぬ寺を住居とし、数年間ずっと住んでいた。二人とも長い間中国で主(キリスト)の教えのために働いていた。ブラウン氏は、その間弟子を持ったが、そのうちの数人は今、中国を西洋文明の方向へ進ませるのに、非常に熱心な働き手となっている。
 ヘボン博士は医者で宣教師だった。その奉仕は、特に価値のある部類のものだ。というのは、その医術はすぐれており、苦しんでいる多くの長い病気の患者を救うことが出来るという理由から、他の者には出来ないことまで許されていたからだ。
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posted by 小楠 at 07:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本