2008年04月03日

明治日本のお正月

維新期と大変違った新年の祝い方

今回ご紹介している「ヤング ジャパン1」の著者ジョン・レディ・ブラックは1827年スコットランドに生まれ、海軍士官となった後、植民地のオーストラリアに移って商業を営んだが、友人から聞かされていた美しい景色と人情の国日本訪問を考えていた。事業の失敗後、本国へ帰る途次に観光程度の気持で立ち寄った日本に結局十年以上も滞在し、日刊の『ジャパン・ガゼット』を発行しました。本書「ヤング・ジャパン」は1880年(明治十三年)に出版されています。
写真は横浜の出初式モース100年前の日本より
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引用開始
 日本の一年のうちで一番、陽気な季節の一つ――正月、すなわち新年について、私はまだ話していない。
 今では、1864年の正月とは、祝い方が大変違っている。それは想像出来る限り、一番楽しく祝う祭日の一つだった。数日前から、たいへんな準備を行った。金持ちの家、役人の邸宅、商店、最もみじめな貧乏人の家でも、すっかり掃除して、清められた。たたみ替えがされ、毎日使うすりへった古い品物――お鉢、米びつ、種々の台所用具、そのほかたくさんの家庭用品――を修理し、新しいものと取り替える。
 餅という、特別な米菓子を用意する。すべてのものが「新しいピンのように」きれいにされた。最上等の着物を用意し、家庭の守り神を掃除して、礼拝し、親友とか、世話になっている人へ贈物を届けた。家の外側は、クリスマスの時のキリスト教国の風習とまったく同じように、飾り立てる。

 なかんずく主な勘定を集金したり、支払ったりして、始末をつけた。こうして人々は新年を十分に楽しもうと、準備した。
 去り行く年の最後の三、四日間は、毎晩この正月用の各種の商品を売る出店――たとえば装飾用の常緑樹や、お飾り、小さなお宮、すなわち木製の小さな神殿、エビやしだ類、その他いろいろな物を売る店――で、ごった返していた街路は、正月となると、つい今しがたの活気にみちた場面とは思えないほど、新年の昼間は、シーンとして人気がなくなる。家の戸は閉められ、正月前数日間の骨折りと騒ぎのうずにまかれて来た人々は、これから先の仕事と娯楽に入る前に、ゆっくりと休んでいる。
 私が、こんなふうに、ひと通り述べて来たことを知るためには、日本人町を散歩する価値はある。飾りは、見た目に美しいというばかりでなく、ある明白な意味――ありふれた興味以上のもの――を持っている。われわれのクリスマスの飾りは、かつては特殊な意味を持っていたとしても、今では、特別の祭の季節を表す常緑樹の飾りに過ぎないが、日本の飾りはそんなものではない。
 昔もそうであり、今でもそうだが、家の表玄関の両側には、松の木と竹を立て、奇妙により合わせたわらなわでそれを結ぶ。このわらなわにはシメカザリというものが下げてある。これは主として茹でエビとみかん、干柿、しだの枝、柏の葉、海草(コブ)で出来ており――そのぜんぶの上に、紙に包んだ炭がのせてある。

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posted by 小楠 at 07:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本