2008年03月29日

日本の法律無視の来航

威嚇による条約締結

今回ご紹介している「ヤング ジャパン1」の著者ジョン・レディ・ブラックは1827年スコットランドに生まれ、海軍士官となった後、植民地のオーストラリアに移って商業を営んだが、友人から聞かされていた美しい景色と人情の国日本訪問を考えていた。事業の失敗後、本国へ帰る途次に観光程度の気持で立ち寄った日本に結局十年以上も滞在し、日刊の『ジャパン・ガゼット』を発行しました。本書「ヤング・ジャパン」は1880年(明治十三年)に出版されています。
写真は横浜の外国人居留地
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引用開始
 英艦フューリアス号は、エルギン卿を乗せて、(以下オリファント氏の描写)「海岸から約三マイル、この帝国の首都から約五マイルの距離にあって、日本艦隊からほど遠からぬ」江戸沖の碇泊地へ、首尾よく来ていた。もちろんただちに一団の役人が訪ねて来て「『神奈川へ帰れ』という文句を繰り返した」。
 エルギン卿は応じないで、同日午後首席老中あてに陸路手紙を送り、訪問の目的を詳述した。すなわち「条約を結び、帝王にヨットを贈呈したい」と。さらに「陸上に適当な住居を提供してもらいたい」と要求した。日本艦隊は、「オランダ政府から購入した二隻の大型横帆船と、かなり小型の外輪船一隻と、三本マストのスクーナー船一隻からなっている」といわれていた。・・・翌々日、陸上の住居に関する申し出に対して高位のる回答が来て、一行は八月十七日上陸した。

 オリファント氏は書いている。――「当日の朝、儀式を盛大に行うために、大準備がされた。数名の日本の役人が来て、使節に従って上陸する手筈をととのえた。われわれが日本側のボートで上陸する、と彼らは明らかに思っていたらしい。だから、自分達が、大勢の正装した艦隊員とともに、リー号に乗せられ、またスマートな乗組員を乗せて、軍艦旗をはためかせて、整然として、陽気に見える十三隻のボートをひきいていった時、彼らは少なからず驚いた。レトリビューション号、フューリアス号、そしてヨットはみな飾り立てられた。砲台を通過する時、小さなリー号が荒々しく蒸気をたて、かなたのジャンクの間をぬって走った時、われわれが浅瀬や砂州を全く無視しているのを見て、日本人達は呆然としていた」。「ついに水深測量が七フィートに達すると、リー号でさえも船底が砂地についたことを知り、われわれは錨をおろしてボートに移った。そうしている時、各艦は礼砲をとどろかせ、レトリビューション号の軍楽隊は外輪船の中で、『英国国歌』を奏し始めた。他のボートは、船首に真鍮製の大砲をつけた四隻の外輪船の間に、エルギン卿の長官艇を中心にして船列をつくった。この隊列で、われわれは岸に沿って三マイルばかり進んだ。

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posted by 小楠 at 07:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本