2008年03月17日

ある兵士の支那事変20

二度目の敵前上陸

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は平穏な蕪湖から再び戦場へ向う兵たち。
写真は植えたばかりの水田に散開して突撃
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引用開始
 長い蕪湖での生活への別れだった。『戦争』ということを忘れてしまっていたような楽しい生活だった。こんな生活ならいつまで続いたっていい――とみんなが思っていた。この生活に別れを告げて再び私たちは背嚢と銃をとって新しい戦場へと出発した。私たちが存えたこの生命を次に賭ける場所はどこだかわからない。ただ「某地に敵前上陸」を行うというだけだった。
 敵前上陸はすでに杭州湾で試験ずみだ。一切の勝手はわかっていたし度胸もついていた。こんどこそは、とみんな杭州湾でのことを思い合わせて、キャラメルだとか角砂糖、羊羹などあの当時一番痛切に欲しいと思ったものを一っぱい酒保で買って背嚢に詰めた。
 夕方五時、私たちは宿舎を発って船に乗った。蕪湖の街へ帰って来ていた支那の土民たちが、日の丸の旗を手に私たちを見送りにきてくれた。そして習い覚えた「バンザイ」を叫んで手に手にその小旗を振ったり、或は顔馴染みの兵たちと別れを惜んだりした。何か別れが辛い気持だった。ここでこんな熱烈な歓迎をうけるとは想像もしなかったし、この土地の人とこんなに別れが辛くなろうとは考えても見なかった。

「第二の出征」――とみんなが思う。船は揚子江の濁流の中に滑り出した。小旗が岸いっぱいに咲いている。「バンジャイ!」と叫ぶ。手を振り旗を振り、支那人と、そして攻めよせた日本の兵隊とが涙を流して別れ合っていた。陽が江上に沈もうとしている。
 夜が明けて突然船が停止すると、麦が一面に生い茂った岸と岸の五百メートルほど向うを走っている大きな軍用路とが見えていた。
「何処だろう?」「和懸の一里手前だ」とどこで聞いたか、誰かがそう答えた。軽機関銃が真先に鉄舟に乗り移って岸に進みながら射撃姿勢をとっている。その後から私たちはゆっくり降りて○○に乗り移った。岸からパンパンパンと敵弾が散漫に飛んで来る。弾道は高くて弾は頭上で雀のようにチューッチューッと鳴いた。岸に着いて散開すると麦は腰までもあった。パーッと伏せると全身麦に隠れて私たちの姿は敵の照準から消えてしまう。悠々麦を分けて敵の機銃座に近づいて行った。
 気にも十分ゆとりがあったし、敵もほとんど逃げ腰だった。二度目の経験――というのでこれだけ敵前上陸が落ち着いて易々と行われるものだとは知らなかった。二、三十メートルにも近づくと、敵は抵抗を止めてどんどん逃げて行く。これを追いに追いまくって進むと、早くもクリークをへだてて和縣の城壁が目の前に覆いかぶさってきた。城壁の上に歩哨らしい影が三つ四つ銃を持って往き来している。この影は城屋の上から近づく私たちを見ると、友軍が帰って来たものとでも感違いしたのか手をあげて、「来々」と言った。クリークの橋が爆破されている横に民家が一軒あったのでこの民家の壁を破って重機の口を出した。
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posted by 小楠 at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変