2008年03月10日

ある兵士の支那事変14

南京への途、中華門めがけて殺到

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は南京陥落時の谷口上等兵たちの動きです。
写真は我が軍に破壊されつくした南京城門
seiya14.jpg

引用開始
「南京中華門まで一里!」
 と声がかかった。ただひた押しの進撃だった。・・・・
十二月十一日朝、私たちは南京城の大城門を二千メートル目前にみて敵と対峙した。敵は城内と雨花台砲台と両方から猛烈に私たちを射ってくる。友軍の○砲も一せいに雨花台砲台に向って放列を敷き、彼我の○砲による大砲戦がつづけられた。晴れてはいたが寒かった。・・・
 すでに中華門は五百メートルの近きに聳えていた。南京城に夜が来る。城内から射ちだす敵の迫撃砲はいよいよ猛烈をきわめて、軍工路といわず、畑といわず、一面に灼熱した鉄片の花火が散りつづけた。砲撃の目標となるので火は絶対に焚けない。星が満天に散っていた。
「こごでは死ねねェなァ」と石原上等兵がいう。
「五百メートルづつ走って、あの城壁の上でなら死ねる」
「そうよ、だからここでは死んでも死ねねェ」

 にもかかわらず、間断なく射ち下される砲の弾片をかむって隣の○隊からは数名の戦友が倒れていった。黒々と目前におおいかぶさる大城壁の上には間断なくパッ、パッ、パッと一列に火が噴いている。シュルシュルシュルシュルと迫撃砲弾は休みなく頭上の夜気を震わせ、「衛生兵ッ!」と呼ぶカン高い声は遠く近くに夜を裂いて、大城壁の銃火のように私たちの感情を明滅させた。

 大南京の敵はただ私たちだけに戦争を挑まれ、ただ私たちだけに戦いかかっているかのようであった。おれたちが南京城を攻めている。おれたちが南京城を陥す。そして、おれたちだけを敵は射ちに射ってこの大城壁を盾に叩き伏せようとしている――そう考えられるほど私たちの戦いは激烈だった。夜が明けるまでにこの大城壁の前に幾人の戦友が残るだろうか、と思うほど敵は砲をベタ射ちに射ちつづける。やがて夜が東の空から白々と明けてきた。
 南京城に朝が来た。ふと、周囲を見廻してアッと驚いてしまった。私たちだけが戦争をしている、と思っていたのに、夜が明けて見たら、広い軍工路一ぱいに友軍の戦車と○砲がひしめきたって城壁に喰いついていた。当然のことだが、いまさら目を瞠る気持だった。戦車も、○砲も、もしできたら城壁を乗り越しかねまじい勢いでピッタリ一線に喰いついている。まったく「犇めきたつ」という感じだった。
 夜が明けるとすぐ城門への突入がはじまった。前方には城壁をとり巻いて幅三十メートルほどのクリークがあった。クリークの土手は三間ほどの道路になっていて、そこに塹壕があった。城門はすでにピッタリ閉されて、泥や砂が一杯積んである。クリークの土手の敵は、城内に逃げ込む道はなかった。堪えかねてバタバタバタと城門へ走って行くが、片っ端から友軍の重機に薙ぎ倒されて、山のように重なって倒れて行く。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の支那事変