2008年03月04日

ある兵士の支那事変9

杭州湾の敵前上陸2

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は杭州湾敵前上陸の戦闘の様子の続きです。
写真は塹壕を越えていざ突撃へ
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引用開始
 大きな鉄橋が見えていた。鉄橋の遥か彼方には、地平線に瘤が出来たようにたった一つ山が浮き上がって、その上に塔が立っているのが雨に霞んでみられた。杭州湾に上ってただひた走りの一直線。この大追撃の終点たる崑山があれに見えて来たという。
 第一線部隊を承った私たちの○隊は急に勢いづいて来た。長い激しかった行軍の一切の苦しさを忘れてしまってみんなはしゃいだ。いま一と息、と疲れた足に元気をつけて更に前進にかかったとたん、前方の鉄橋付近からダダダダダ、と重機関銃を射って来た。すぐ部隊は広い軍用道路から畑の中に展開した。畑には満々と水が溢れていた。水は泥と一緒に私たちの腰をひたした。冷たい雨がシトシトと鉄兜を打った。散開して一気に水の中を岸近くまで突撃すると鉄橋は轟然たる音をあげて真中付近から空に吹きあがった。鉄骨の梁がピューンという唸りと一緒に私たちの近くに飛んで来た。あとには四本の橋桁だけが残っている。この残った橋桁を伝って三人の敵が走って来た。敵は橋の真中まで来ると石油を撒いてこれに火をつけた。一斉に友軍の機銃がこの三人に向って鳴った。二人がコロッ、コロッと転がって河の中へもんどり打って落ちた。残る一人は猿のように橋桁を走って対岸の壕へ飛び込んだ。

 橋桁は炎々と燃え上がる。私たちは一斉に畑から飛び出して橋に迫った。四方から飛び出してきた私たちは、橋のところで一本の道に集ってしまう。対岸の重機はこの一点を狙って弾幕を張った。橋の前へ躍り出して、次々と折り重なって戦友が倒れてゆく。
 コンクリートの橋脚の上に幅五寸ほどの木が四本渡して橋桁ができていた。石油はこの四本の木の上を流れて焔は煙と一緒に橋桁を四筋に走っていた。橋桁は泥靴の下でスルッスルッと滑った。
 私の前を走っていた戦友がガクンと左脚を折曲げたと思うと半身が斜めに傾いてハッと思ううちに鉄橋から落ちていった。下を向いて一気に走る私の目に、橋桁の間から河を流れる戦友の顔がハッキリ見えた。一瞬の映像だった。顔が火で熱かった。眉毛がジリジリと燃えたのをハッキリ意識した。隣を走るのは誰か、前で倒れたのは誰か、全然わからない。燃える橋桁を走って対岸に一歩踏み込もうとするところに、敵か味方かわからぬ死体が土嚢陣を築いたように折り重なっていた。この死体の山を踏み越えて目の前の壕に飛び込んだ。壕に入るとどうしてもこれ以上一歩も出られなかった。「嬶、嬶!」と呼ばれる。私は壕を這って行って荒木准尉に飛びついた。

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posted by 小楠 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変