2008年02月01日

朝日新聞の南京一番乗り

南京陥落時のアサヒグラフ

今回のご紹介は、昭和13年1月27日に発行された、朝日新聞社の週間朝日・アサヒグラフ臨時増刊・支那事変画報・第十一号です。
 南京陥落から入城後の大虐殺があったとか言う丁度その時の朝日特派員の写真報告を本日から三回に分けて掲載してみます。
こちらでは映画「南京の真実」第一部の試写会が始まっています。
今回掲載の写真は全て拡大できますので、当時の紙面をお楽しみ下さい(皮肉)。
写真はその表紙、キャプションは『江南某基地における「陸の荒鷲」のお正月』となっています。
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次は『南京一番乗り「感激に声なき脇坂部隊の万歳」』と題されたページです。
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主文を引用します。(現代仮名使いにした部分もあります)
【南京光華門外にて平松、藤本両特派員十二月十一日発】
 南京一番乗りの栄誉は遂に脇坂部隊将士の頭上に燦として輝いた。記者等(平松、藤本両特派員)は九日午前五時部隊の主力が南京城壁下にタッチして以来付近の陸軍兵営の一角から眼前に展開する壮烈極まりなき激戦の推移を手に汗を握って観望し遂に心の底から迸しる城内占領の歓喜の叫びをあげることができたその時の感激歓喜こそは永久に忘れ難いものである。
 愈城壁に辿りつくという九日払暁高橋門付近部落で全将士は背嚢を整理し、ただ食料として僅かに残る乾麺麭麭と付近農村で手に入れた生の甘藷を袋に入れて腰には能う限りの弾丸が詰められた。
 群がる残敵を撃破し右翼は城壁外の丘陵を掩護物として左翼は陸軍兵営の建物を盾として城壁下に進む。眼前には一条のクリークが横わって我等の進路を阻む。只光華門に通ずる橋梁が我が軍を門内に誘導するかの様に壊されもせず架っている。城壁上の敵兵は早くもわが軍の進撃に備えて機銃口を城壁の銃眼に一列に並べ間断なく射ちまくる。わが歩兵部隊は弾雨を潜って今将にスコップを揮って懸命に塹壕を掘っている最中である。一秒でも早く一寸でも深く掘らねば何等の掩護物とてない丘陵の上の原っぱのこと、高い城壁から射ち下す敵機銃の餌食になるばかりだ。
 傍らの○砲は砲身も焼けよと射って射って射ちまくる。一発また一発弾丸は光華門の窅湾部に命中するが幾重にも積まれた土嚢のため門はビクともしない。かくて九日も遂に機関銃、小銃戦で暮れて行った。
 徹夜で射ち続ける敵弾は我が勇士の身辺を包み一寸の進撃も許さぬ迫撃砲、野砲は盛んに炸裂し、われ等は生きた心地もない。後退するも前進するも悉く弾雨の危険地帯を突破せねばならぬ。部隊長は「大丈夫だ、明日には必ずあの城壁に日章旗を掲げて見せる」と力強く言ってのける。
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posted by 小楠 at 07:18| Comment(6) | TrackBack(3) | 反日マスコミ