2008年02月04日

朝日グラフの南京報道

南京城の昨日今日

今回のご紹介は、昭和13年1月27日に発行された、朝日新聞社の週間朝日・アサヒグラフ臨時増刊・支那事変画報・第十一号です。
この時期は日本軍による南京大虐殺の真最中のはずの頃です。その時に数名の朝日新聞南京特派員が送ってきた南京城内の写真と記事がこのグラフに紹介されています。
こちらでは映画「南京の真実」第一部の試写会が始まっています。
今回掲載の写真は全て拡大できますので、当時の紙面をお楽しみ下さい(皮肉)。
このページは全て写真とキャプションだけで構成されていますので、その通り見て頂けるようにしておきます。
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写真右ページ上と右中:去る十二月二十三日南京残留二十万の市民によって生まれ出た南京市自治委員会は昭和十三年の芽出度い元旦を期して、南京の中心皷楼で発会式を挙げた。日の丸と五色旗を持って皷楼へ集った市民約三万、南京未曾有の盛観裡に午後二時孫副委員長は開会の辞を述べ、全員起立敬礼の中に五色旗が掲揚されて、晴れ渡った元旦青空に翻り、期せずして起る万歳の声は紫金山を揺るがすばかり、次いで会長陶錫山氏によって趣意書と宣言文が朗読され、現地我が陸海軍の祝辞後自治委員会の万歳を三唱して午後三時式を終った。
写真は【上】北極閣と紫金山をバックに陶会長の発声で自治委員会万歳三唱【右】は皷楼へ詰めかける良民(1月1日影山特派員撮影)
左ページ写真右中:お正月を間近に、南京攻略の有志達は、童心にかえって支度に忙しい。竹を切って来い、松を抜いて来い、お飾りを切れ、こんな忙しさならいくら忙しくても嬉しいんだ(12月27日影山特派員撮影)
真ん中下の写真:門松は立てたし、お飾りはつけたし、さて手廻しよく配給された餅を焼いて、野戦料理のお雑煮を頬張り乍ら「テヘッ! お正月が十日早く来ちゃったぜ。お正月も我が快速部隊と歩調を合したと見えるわい」(12月22日林特派員撮影)
左ページ左三枚の写真の共通タイトルは『南京戦線の本社報道陣』で
上:報道報国の念に燃ゆる特派従軍記者が火戦下に死を堵して綴る一文一句はこの砲火を冒して進む移動通信第一線通信本部に集る(湯水鎮にて12月8日角野特派員撮影)
中:本社濱野嘉夫特派写真班員は十二月八日南京に僅か三里の高菅頭第一線で敵戦車の猛射を浴びて戦死したが、その憎むべき戦車は菅原部隊の勇士の手で生捕られた(12月9日小島特派員撮影)
下:十二月十一日南京城門西南角猛攻中の奮戦を報道すべく弾雨を冒して爆進せる我が社特派員らの自動車は城壁間近で敵の地雷に引かかり無残に大破したが、一人の負傷者を出したのみで、他は幸に奇跡的に難を脱れた(12月13日上野特派員撮影)

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上掲の写真左は、右ページ右下のもので:キャプションは『惨虐無道な支那兵に脅かされ、空と地に唸る砲弾に慄えていた避難民地区の支那良民は、日本軍入城と共にホッと蘇生の思い。その上に食事は元より子供にはお菓子を恵まれて大喜びの嬉しい涙で唯々「謝々」繰返している(12月20日林特派員撮影)』
写真右は、左ページ下のもので、キャプションは『暴虐無類な抗日支那軍乍ら傷けば、皇軍が敵をも隔てぬ同仁の慈(一字不詳)に抱かれ、ここ南京外交部跡の野戦病院に我が衛生隊の手厚い看護を受けつつ、明け暮れ悔恨と感謝の涙に咽んでいる支那負傷兵(12月20日林特派員撮影)』

posted by 小楠 at 07:19| Comment(1) | TrackBack(1) | 反日マスコミ

2008年02月02日

南京入城式の朝日報道

威容堂々大閲兵式
 今回のご紹介は、昭和13年1月27日に発行された、朝日新聞社の週間朝日・アサヒグラフ臨時増刊・支那事変画報・第十一号です。
 この時期は日本軍による南京大虐殺の真最中のはずの頃です。その時に数名の朝日新聞南京特派員が送ってきた南京城内の写真と記事がこのグラフに紹介されています。
こちらでは映画「南京の真実」第一部の試写会が始まっています。
今回掲載の写真は拡大できますので、当時の紙面をお楽しみ下さい(皮肉)。
このページの題は
『この万歳故国に轟け「威容堂々大閲兵式」世紀の絵巻南京入城』となっています。
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主文の引用
【南京にて今井特派員十二月十七日発】
 嗚呼感激のこの日、同胞一億の唱和も響け、今日南京城高く揚る万歳の轟きは世紀の驚異と歓喜茲に爆発する雄渾壮麗な大入城式である。この軍、中支に聖戦の兵を進めて四ヶ月、輝く戦果に敵首都を攻略して全支を制圧し、東亜和平の基礎茲に定まって国民政府楼上に翩翻と翻る大日章旗を眺めては誰が感激の涙なきものがあろうか。
 荘厳勇壮を極めるこの大入城式を目のあたりに実況を故国に伝える記者の筆も感激と興奮に震える。南京は日本晴れ、この日紺碧の空澄み渡って雲一つ浮ばず銃火茲に収まって新戦場に平和の曙光満ち渡る。

 中山門、光華門、通済門、中華門、和平門、太平門、日の丸の旗波打つこれら輝く各城門から午前早くも光輝燦然たる日章旗を捧持して南京総攻撃参加の各部隊続々入城。中山門より国民政府に到る三キロのメーンストリート中山路の沿道に堵列の将兵は征衣に積る戦塵を払って意気軒昂、見渡せば道の北側に上海派遣軍、南側に杭州湾上陸部隊、血と汗に汚れた戦闘帽に輝く両頬は今日この一瞬の歓喜に満ち満ちて日焦した満面が感激に燃えている。
 午後一時を全部隊集結完了した。畏くも金枝玉葉の御身を以て親しく南京攻略戦に御従軍遊ばされた朝香宮殿下の召された自動車が中山門に到着した。続く車は杭州湾上陸の○○部隊長、そして中山門に感激の瞳を輝かせつつ降り立ったのは上海戦の労苦を双頬に刻んだ軍司令官松井石根大将である。午後一時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り○○部隊長、各幕僚は騎乗にて、ここに歴史的大入城式が開始された。
東方紫の峰を横たえる紫金山の中腹にこの盛典を見守る中山陵、ああこの日! この時! 新支那建設の父、孫文はこの陵下に在って如何なる感慨があるであろうか。恐らくは抗日支那の末路をわが将士とともに哀れんで居るであろう。
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posted by 小楠 at 07:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 反日マスコミ

2008年02月01日

朝日新聞の南京一番乗り

南京陥落時のアサヒグラフ

今回のご紹介は、昭和13年1月27日に発行された、朝日新聞社の週間朝日・アサヒグラフ臨時増刊・支那事変画報・第十一号です。
 南京陥落から入城後の大虐殺があったとか言う丁度その時の朝日特派員の写真報告を本日から三回に分けて掲載してみます。
こちらでは映画「南京の真実」第一部の試写会が始まっています。
今回掲載の写真は全て拡大できますので、当時の紙面をお楽しみ下さい(皮肉)。
写真はその表紙、キャプションは『江南某基地における「陸の荒鷲」のお正月』となっています。
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次は『南京一番乗り「感激に声なき脇坂部隊の万歳」』と題されたページです。
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主文を引用します。(現代仮名使いにした部分もあります)
【南京光華門外にて平松、藤本両特派員十二月十一日発】
 南京一番乗りの栄誉は遂に脇坂部隊将士の頭上に燦として輝いた。記者等(平松、藤本両特派員)は九日午前五時部隊の主力が南京城壁下にタッチして以来付近の陸軍兵営の一角から眼前に展開する壮烈極まりなき激戦の推移を手に汗を握って観望し遂に心の底から迸しる城内占領の歓喜の叫びをあげることができたその時の感激歓喜こそは永久に忘れ難いものである。
 愈城壁に辿りつくという九日払暁高橋門付近部落で全将士は背嚢を整理し、ただ食料として僅かに残る乾麺麭麭と付近農村で手に入れた生の甘藷を袋に入れて腰には能う限りの弾丸が詰められた。
 群がる残敵を撃破し右翼は城壁外の丘陵を掩護物として左翼は陸軍兵営の建物を盾として城壁下に進む。眼前には一条のクリークが横わって我等の進路を阻む。只光華門に通ずる橋梁が我が軍を門内に誘導するかの様に壊されもせず架っている。城壁上の敵兵は早くもわが軍の進撃に備えて機銃口を城壁の銃眼に一列に並べ間断なく射ちまくる。わが歩兵部隊は弾雨を潜って今将にスコップを揮って懸命に塹壕を掘っている最中である。一秒でも早く一寸でも深く掘らねば何等の掩護物とてない丘陵の上の原っぱのこと、高い城壁から射ち下す敵機銃の餌食になるばかりだ。
 傍らの○砲は砲身も焼けよと射って射って射ちまくる。一発また一発弾丸は光華門の窅湾部に命中するが幾重にも積まれた土嚢のため門はビクともしない。かくて九日も遂に機関銃、小銃戦で暮れて行った。
 徹夜で射ち続ける敵弾は我が勇士の身辺を包み一寸の進撃も許さぬ迫撃砲、野砲は盛んに炸裂し、われ等は生きた心地もない。後退するも前進するも悉く弾雨の危険地帯を突破せねばならぬ。部隊長は「大丈夫だ、明日には必ずあの城壁に日章旗を掲げて見せる」と力強く言ってのける。
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posted by 小楠 at 07:18| Comment(6) | TrackBack(3) | 反日マスコミ