昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は行軍途中のひとときと第一線から送られてくる負傷兵を見ての感情。
写真は傷つける戦友を担架にのせ山路を下る勇士

引用開始
保定城外の民家だった。少し萎れてはいたが、支那兵のちぎり残した葡萄が沢山蔓に残っていた。永定河を渡ってから十日間、来る日も来る日も野菜をかじっては泥と弾の中を進み続けて来た私たちには、萎れていてもその小さな青い円味の果物が、世にも珍しい貴いもののようにさえ思われるのだった。
半透明な粒を歯に噛むとプツ、とつぶれて、そのしみ渡る甘味は皮も種も吐き捨てるのが惜しかった。城内の住民たちは湯を持って来たり、粟粥を御馳走したりして盛んに私たちを歓迎する。石原上等兵が何処かから大きなカメを探して来た。これに湯を沸かして初めての陣中風呂に、まずまずと児玉少尉や荒木准尉をお入れ申した。・・・・
児玉少尉や荒木准尉たちが「おい、あんまり汚くしていては、日本軍の不面目だぞ、少しは綺麗にしろよ。」と注意して廻られた。戦線に来て日が浅かったので、そんな余裕があるのだった。・・・
晩は豚の御馳走に、舌鼓をうった。寝ようとすると部隊全部にはじめて千人力飴が配布された。小さな袋に入っていて朝鮮飴のように柔らかくて甘い。これを噛んで小林伍長と石原上等兵と三人で抱き合って寝ていると、久し振りで湯を浴びた快さも手伝って何か楽しさがゾクゾクと身内にこみあげて来た。
昨日までやっていたあの激しい戦争なぞはすっかり忘れてしまっている。いや、たったいま、ヒュルヒュルヒュルと空気を裂く弾の音がすれば、それと同時に何が起らないとも知れない。しかしそんなことは一切忘れてしまっていた。戦場というものは飛びだすことも早いが忘れることも早い。一貫した想念というものが全部無くなって、ただ瞬間瞬間の想念の外にはなにも考えない――これが戦場だった。
従って兵隊はみんな子供のように、その場その場の感情で動いている。十日間の洗礼で明日の命を考える馬鹿ものなどは一人もいなくなってしまった。この瞬間瞬間の行動が連続して、東洋の一転期を画するような大きな仕事が出来て行くのだろうか――と不思議な気もするが、そんな考えも一寸目の前を閃いて行ったかと思うと、次の瞬間には、もう別の途方もないことを思ったりしている。
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