2008年01月16日

ロンドン会議前の形勢

軍備制限の真相4
今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真は米全権スティムソン(wikiより)
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引用開始
 英国の招請に対し日本の回答は十月十六日(1929年)松平大使の手から英外相に手交されたもので、軍縮会議のとかく名実相反する過去の経緯に急所の一針を与えて頗る要領を得たものであった。・・・・この回答中・・・・先ずもって予備的会談において日英の協定を進めること。英米二国のそれのごとくに遂げたいという要望を言明している。次は不戦条約を討議の出発点とすることは今回の軍縮の基礎観念であるから他を脅威するような攻勢的軍備はよろしく率先して縮少すべきであると、一本痛い所に釘を刺したものである。
第三には各国民の希求は軍備の制限に止らず実に軍備の縮少である、これはフーバー大統領の数次宣言を裏書するもりであって、日本はこの宣言を信じて真の軍縮を期待して応召するものであるから、軍拡に流れるような英米協定案には不賛成であるということを暗示しているのである。以上の三点は会議に臨む日本の立場を自由にし、会議の指導原理を明示し、英米二国の反省を促したいかにも肯綮にあたった適切な回答であったと思うのである。また同時公表された幣原外相のステートメントもまた該公文の補説として国民の意志を適確に表示したものであった。

『何れの国に取っても脅威とならざる底の海軍協定、しかも兼て各国民の負担軽減をももたらすべき協定』これが帝国政府の眼目とするところであると表示したのである。
 かくて我政府は全権の携行すべき帝国政府の訓令案に付き、外務海軍両当局において国家的立場、国際的立場並に戦略的立場の三方面の観点に立脚した原案作成に着手したが、漸くその成案を得たので十一月二十六日の閣議に付議し首相より上奏御裁可を仰いで若槻首席全権に手交することになった。・・・・・この訓令はまた対英回答と共に軍縮精神に合致し兼て不戦条約を基調とした最も合理的な、しかも最も謙抑な方針であって、いかなるごうつく張りのアングロ・サクソンでも、これには納得するものと思われた。・・・・
 かくて我全権は十二月十一日(ロンドンへの途上)北米シャトルに着き同国記者団に対して『他を脅威せず他より脅威せられざる最小限度の軍備』を基準として真の軍縮を達成せんことを強調せる重要なる声明書を発した。同じく十六日ワシントン着、即日大統領と会見し翌十七日国務卿スチムソンの私邸に会合し第一回日米全権の予備交渉を行った。その後若槻、財部両全権はスチムソン、モロー両全権との二回の会談の結果につき十九日ニューヨークに向う列車中で左のごとく非公式に発表したのである。

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posted by 小楠 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争