2008年01月08日

支那外交上の四期

支那をめぐる日英米1

今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真は義和団事件で北京大使館に篭城した日本人
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引用開始
 日清戦争後義和団事件が支那に発生して、北京(北平)に於ける公使館区域は団匪の襲撃に会った。・・・然し列国聯合軍が北京を占領してから、支那との間にいわゆる団匪事件議定書なるものを作成して、ここに支那の国際関係の上に、一つの紀元を作った。その後日露戦争により東洋の気運も漸く一変することとなり野郎自大の支那人もまた漸く覚醒して、泰西文化の輸入が国内の大勢となり、或は憲政の準備、法典の編纂等、範を我が国の学者識者の招聘されるものが少なからずあった。実際支那人の国際観念はこの時節から涵養されたものといってもいいのである。

 先年パリ講和会議に於て支那全権たちが・・・・その引用せる国際法論には我儘勝手の我田引水論が多かったに拘らず、・・・・これと同時に支那は欧米外交界の悪流行たるプロパガンダを多分に見習い、山東問題をかって、極力排日宣伝に努め、無実無根の事柄を捏造して日本の信用を毀損せんと計った。
 たとえ其の行動が露骨劣悪なるものであっても、当時排日の気勢熾烈なる米国内では、この支那人の 排日宣伝、朝鮮亡命者の独立宣伝、在東洋米官吏伝道師商人の排日運動が二重三重に重なり合って放送されたのであるから、日本の真意は根底より誤解せられて、爾後の国交に頗る迷惑を与えたのである。
 支那が完全な独立と、確固たる統制と着実なる発達をすることは、善隣の日本として最も希望する所であるが、徒に以夷制夷、遠交近攻等の弱国的術数を以て他国の排擠に努め、これを以て自国の向上手段かの如く考えて居る間は、何時までたっても東洋のバルガンたるの地位を免れることができないのである。・・・・濫りに旧来の陋習に囚われ、露国の事例に倣って、国際条約を勝手に破壊し国際間の信義を無視するを以て能事とするような態度は、中華民国として甚だ採らざる所である。・・・・・私は支那外交史の変遷を四期に分けて考えて見たいと思うのである。
 第一は阿片戦争以後、第二は日清戦争以後、第三は日露戦争以後、第四は世界戦争以後である。・・・・
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posted by 小楠 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争