2007年12月04日

明治の端午の節句

日本の歳事2

今回ご紹介している「ドイツ歴史学者の天皇国家観」の原著者ルートヴィッヒ・リースは、東大から招聘を受け、明治二十年(1887年)二月に横浜に到着し以来、明治三十五年七月まで、今日の東京大学史学科で歴史を学を講じた人物です。
本書ではドイツ人を対象とした日本紹介のために書いた論文が中心となっています。
写真は京都の町屋
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引用開始
 世界中で、日本ほど子宝に恵まれることを高く評価する国はほかにない。子供が生まれたと聞くたびに、誕生日から数えて三日目、七日目、三十三日目、五十五日目、そして百二十日目といった日を選んで、方々からお祝いの客がやって来る。また、贈物もたくさんなされる。これらの日に赤ん坊はおめでたい品物に囲まれ、古くから伝えられてきた礼式に則って祝福を受けるのである。
 特に男児が生まれたときは、親戚、知人を問わずその喜びようは際限がない。女性に優しい日本の男性も、結局は東アジア文化圏の、何事においても男の方が女より遥かに優れているとする男尊女卑的な考え方を隠そうとしないのだ。「男子は女子の七倍輝く」と日本の諺は言っている。なるほど、昨今では顔の方も本当は女房より自分の方がよいなどと勝手に信じ込んでいる御仁がいるくらいであるから、日本の男性諸氏の思い上がりも相当なものである。

 それにしても日本人は子供が生まれた当初こそ何やかやと大騒ぎをするくせに、その後は、毎年巡ってくる誕生日をきちんと祝うということをしない。・・・・庶民のあいだでは、干支が一巡して六十一年目の誕生日を迎えてからでないと、いっぱしの人間として自分の誕生日を人さまから祝ってもらおうなどとは考えないのである。
 ちなみに、日本では年齢を満年齢では数えず、数え年で表す。したがって1930年12月に生まれた子供は、翌年の元旦にはもう二歳と数えられる。すなわち日本人は一月一日を期してみな、一歳年長になるのである。そういうわけで日本の子供たちは自分の誕生日を迎えても、年に一度の特別な、大切な日を祝ってもらえるという誇らしい気持ちがまったく生まれなくなっている。そこで彼らには、この日ばかりは単に小さな子供であるというだけで贈物やお祝い事をしてもらえる日が用意されている。まず女の子には一年の三番目の月の三番目の日、すなわち三月三日にこうした幸せに酔える日が設けてある。この日、彼女達は大人たちに並べてもらった雛人形や餅、菓子のたぐいを前に、うっとりとしてしゃがんでいることができる。そして、五月五日が男の子のお祝いの日となる。この日、各家庭は祝賀の喜びを内輪だけでかみしめるのではなく、家から出て路上の至るところに繰り出す。そして町中の屋根という屋根が、やがてこの「日出ずる国」をしょって立つ軍人となる自慢の「戦利品」を空高く抱え上げる姿でいっぱいになる。
 この十二ヶ月のあいだに跡取り息子が誕生した家庭には、祝賀の当日まであと数日という頃になると、もう親戚や友人が紙を貼り合わせて作った内部が空洞の鯉(鯉のぼり)を持ってやって来る。・・・・続きを読む
posted by 小楠 at 08:59| Comment(6) | TrackBack(1) | 外国人の見た日本A