2007年11月27日

仏人の見た明治京都1

ベルソール、京都の魅力(上)

フランス人、アンドレ・ベルソールの「明治日本滞在記」は、1897年(明治三十年)12月から翌年8月にかけての日本旅行を記したものです。
 彼は小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、この本の中でも、日本についても、しばしば遠慮のない評言をしています。
写真は当時の八坂神社・四条通り
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引用開始
 すばらしい場所であった。寺院の名前はもう思い出せないが、いくつかの丘に囲まれた平地全体が見渡され、そこに京都の町並みがくすんだ黒っぽい干潮のように広がっている。大きな建物の屋根も浮き立っては見えない。緑がかった、大きな塊のように見えるだけである。・・・
 いくつもの丘の斜面のいたるところに、寺院の階段、仏塔、神社、叢林等が、朝の光が輝く青白い空気の中に、くっきりとそれぞれの輪郭を浮かび上らせていた。小川と小鳥だけが歌っていた。人間たちの住居も、神々の館と同じく静まり返っていた。
 かつて、帝位が盛んで、天皇が京都に都を置き、この都市の四十万の人口のうち五万人が僧侶であったという時代には、狭くて長く、上り下りの坂の多い大路小路は、耳に入るものとては、衣ずれの音に刀の触れ合う音、笛の音、舞踊の調べのみであり、朝な夕な、僧侶が鐘を打ち鳴らしていたのであろう。

 われわれは、寺院近くの、とある茶店の戸口に腰を下ろしていた。校旗を先頭にして、少女の学校生徒の群が通っていった。どの子も明るい色の着物を着て、生徒らの姉と見えるくらいの女教師たちに引率されていった。女生徒たちは山腹の神にお参りに行くところで、めいめいが枝葉模様の布(風呂敷)にきれいに包まれた小さい弁当を下げていた。少女らの、軽やかな、跳びはねるような一群は、たちまち木立の陰に消えた。・・・・
 あらゆる地方から、学校の教師たちは、生徒を引率して京都にやってくる。ほこりで真っ白になった履物を引きずり、ある者は日本風の衣服をまとい、他の者はヨーロッパ風の衣服を着こんだ生徒たちの群に会わぬ日はない。一見して、彼らの無骨な顔は、喜びも驚きも疲れも見せておらず、懸命な緊張の表情があるばかりである。私は好んで彼らのあとについて行く。とくに、彼らが宮殿や城館を訪ねるときにはそうする。この少年たちは、過つことのない嗅覚を備えていて、優れたもの、珍しいもの、極上のものの前ではぴたりと足を停める。
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posted by 小楠 at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B