2007年11月21日

GHQの日本洗脳工作3

米軍発表「太平洋戦争史」論、日支事変・三国同盟

江藤淳氏の著「忘れたことと忘れさせられたこと」の末尾付録1に、昭和20年12月8日大東亜戦争開始四周年を期して発表された、米軍司令部当局提供特別記事「太平洋戦争史」がいかに米国に都合よく、日本=悪の思想を日本国民に浸透しようとする意図のものであるかを批判する、総務局資料課の富枡嘱託の論が掲載されていますので、ご紹介しようと思います。なお、文中同文とあるのは米軍司令部当局発表の「太平洋戦争史」のことです。(旧漢字やカタカナの原文を読み易くしておきました)
写真は維新政府成立を祝う南京市民
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引用開始
7、日支事変
 次に米軍司令部発表同文は、1937年日支事変に論及したるも、数年に亙りて国民政府の(二字不詳)又は黙認の下に全支那に汪溢せし排日、抗日の極悪なる、遂には小学教材にも利用したる国民運動に言及する処皆無なり。然るに悪辣なる支那の排貨運動は我国対支貿易(二字不詳)を窮地に陥入れたるの結果、阪神地方の同業者は困憊の余り当局に対し対支積極的政策履行を哀訴するに至りたるとの噂ありたる程なり。
 従来、排日、親支を以て名声ある「コロンビア」大学国際政治教授「ナサエル・ベフアー」すら、昭和12年5月初旬上海に於て支那当局に警告して「目下支那人は(二字不詳)均衡を失いつつあり、今にしてこの誤謬を改めずんば、十年前満洲事変の(二字不詳)を再び繰返すの恐れあり。この際(一字不詳)るべきは果して日本なりや、支那なりやを(一字不詳)言する事難きも、余は敢えて後者なりと観ず」となしたり。

 尚米軍司令部当局の同文は、日支事変発端当初の状勢を述べ「其間一度二度妥協の機会はあったが、7月28日日本軍が北(一字不詳)に対して大規模攻撃を開始するに当りて解決の希望は遂に失われた」と書き流し盧溝橋事件突発後三週間に亙り我国が事変の「不拡大主義」を(二字不詳)し以て如何に局地解決に腐心したるかを(一字不詳)過し居れり。
 我方妥協政策は一(一字不詳)7月18日功を奏したるも、翌日北平地域第二十九軍(一字不詳)事王旅団長は国民政府軍の大挙北上援助を頼みて停戦取極を破棄するの暴挙に出で、遂に局面収拾の途なきに至りたり。
 ここに於て我政府は止む無く動乱解決のため出兵となりたるも依然として軍事的局地主義を取りたる結果帝国議会は臨時軍事予算僅か二億円を計上したるに過ぎざりしなり。尚伝えらるる所に依れば、当時御前会議に於て杉山陸相は御下問に対し事変は一ヶ月以内に終了すべきを以て御奏答申上たりと云うに於ても当初我方政策の如何に消極的なりやを覗い得べきなり。
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posted by 小楠 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中のアメリカ