2007年11月17日

明治初年の家庭生活

ブスケ 日本見聞記2

「ブスケ 日本見聞記(フランス人の見た明治初年の日本)」の中からご紹介しています。ブスケは1872年[明治五年]に日本政府の法律顧問として四年間滞在しました。

引用開始
 日本の家には召使いが大勢いる。そうだからといって、ひとがよくかしずかれているわけではない。「モン・バン」(門番)は道路に面した「ヤスキ」(邸)の門を守っている。男女の「コスカイ」(小使)が家内の仕事を労を惜しまずつとめている。「ベット」(別当)すなわち馬丁が馬の世話を一人一頭の割で行い、乗り手の前を全速力で息も切らずに走る。これらの者はいずれも妻子をもち主人と同じ屋根の下に住んでいる、従って最低のサムライでも自分の家の付属家屋のなかで増えてゆく人々を養っているのである。
 奉公人であることは権威を失墜することではない。奉公人は家に属するものとして扱われ、また自分もそうだと考えている。奉公人は主人に、特に子供に親密に結びついている。彼は臆せず意見を述べ、それを求められるのを待たずにすら意見を言う。彼は膝ずりして茶を進め、額を地につけて命をうける。しかし一瞬後には、荒っぽい冗談をとばし、その上それが見事に受けとめられる。あるいは陽気な会話に加わるが、静粛を命ぜられることはない。全階層別のなかで小物はその割当てられた領域では大物よりも一層気楽に動いているように見える、だから彼らはそこから抜けだそうなどとは夢にも思わないのだ。
 皆が彼らを重んずる。またそうしなければならないのだ。上の者は下の者次第だからである。密告が一般的である国では、主人の評判、秘密、生活は常にその配下の意のままとなる。柔和であることは一つの必要なのである。これはさらに一つの習慣化した上品さなのである。

 「日本は子供の天国である」と英国の旅行者サー・ラザフォード・オルコックが巧みにも言った。子供たちを見ると最もしかめ面をした顔もほころび、子供たちに対しては最もいかめしい顔もゆるむのである。子供たちに人生の初期の苦さを味わわせないように、すべてが計算されている。離乳ということは知られていない。子供たちは、彼らが走り回り、とび回り、他の食物を一層欲しがるようになる年齢まで、乳を吸うがままにされている。母親はいつでも子供たちの渇きと同時にその泣声を鎮める用意をしており、稀には乳母に助けを求める。しかし、多くの子供が、賢明な心配りが欠けているために、死んでゆく。だが献身が欠けているからではない。彼らは、生まれたその日からすでに一生涯彼らが着ることになる着物を着るので産衣の責苦を知らず、その小さい寝床の上で気楽に足をばたつかせている。  人々は子供に対しお菓子を与えないようにするすべを知らず、両親は幼いときからしてすでに将来のきつい試練に馴らそうなどという心づかいはほとんどしない。
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posted by 小楠 at 07:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚から真実を