2007年11月13日

東京裁判弁護資料11

ローガン弁護人 最終弁論・自衛戦論「日本は徴発挑戦され自衛に起った」その1

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
これは昭和23年3月10日のもので、この「自衛戦争論」は通俗の「東京裁判史観」に対する最も効率的且つ強力な反措定をなしていると解説されています。
写真は日米交渉時の野村、ハル、来栖
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引用開始
1:日本が真珠湾を攻撃し、太平洋に於ける公然の戦争行為の開始を告げた時より13年前、アメリカに於きましては著名なる政治家の一団が、今は有名なケロッグ・ブリアン平和条約に対しアメリカがこれを批准することの是非を議する為にワシントンの国会議事堂に集まって居ったのであります。そしてこの一団中には同文書共同草案者の一人たる時の国務長官フランクB・ケロッグその人が交って居りました。

2:その時に行われました審議は議事録に収められ居るのでありますが、その審議の進行中、ケロッグ長官は「国家が攻撃されるのではなくって―経済封鎖を受けるとしたら――?」という質問を受けました。ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」と答えました。その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました。

3:同じ会議中、ケロッグ長官は上院議員一同に対して次の如く述べました。「先にご説明申上げました通り、私は今日、或る国家にとって回避することの出来ない問題である、[自衛]若しくは[侵略者]という語についてこれを論じ定義する事は、地上の何人と云えども恐らく出来ないであろうと思うのであります。そこで私は次の結論に達したのであります。即唯一の安全な方法は、どの国家も、自国が受けた攻撃は不当なりや否や、自国が自衛の権利を有するや否やを自国の主権に於て自ら判断することであって、ただこれに就いては、その国家は世界の輿論に答えなければならないという事であります」
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posted by 小楠 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判