2007年11月09日

東京裁判弁護資料8

ラザラス弁護人冒頭陳述「対ソ関係」

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
 ここでは、検察側証人に対する弁護側の反対訊問の機会が全く与えられないこと、従って偽証を追及することが不可能であったことなどが記録されています。
これは昭和22年5月16日のもので、結果は全文朗読です。
写真はノモハンでの現地停戦交渉
nomohan.jpg

引用開始
 弁護団は今や本裁判の一部門たるソ連邦より提出された訴追に対する証拠を挙げようとします。その訴追は政治的並軍事的侵略に対するものでありまして、
 第一に政治的面としまして、防共協定締結が侵略であると訴えられて居ります。
 第二に軍事的面として1938年のハサン湖(又は張鼓峰)事件<1939年のハルヒン・ゴール(又はノモハン)事件及他の時期に於ける対ソ軍事侵略計画が挙げられて居ります。
 弁護は対極的に見て1928年より1945年までの日本の対ソ外交、軍事政策の流れは防御的であったと云うことであります。即ち国境不安に基づく軍事衝突は単なる偶発事件であり、計画的侵略の結果ではなく大流に反流する小波であるのであります。
 証拠の細部に入るに先立ち我々の立証すべき本件の非常に不満足ないわば無形な事件の性質を先ず指摘します。

 我々は自らでなく口供書によって証言して居る多くの証人の証言に直面して居ります。と申しますことは人類の虚偽に対する最も有力な武器である反対訊問の機会を全く与えられていないということであります。
 これ等証人の中の或るものは死亡したと言われるでありましょう。又他のものは証言をした時はソ連に対する「罪」を侵したと称せられて拘禁又は取調中であり、又他のものは通常の戦時俘虜であると言われて居ります。これ等俘虜は帰国させられて居れば反対訊問に付することが出来るのでありますが、終戦後二十一ヶ月経ったにも拘らず未だ日本へ帰国させられて居りません。一例に於ては証人を提出せよとの裁判所の直接命令に対し証人も回答も出ていない場合があります。・・・・
 唯の一回といえども裁判所は弁護団のためにソ連管理下の証人の出廷を求める呼出状を発しても成功したことは遂にありません。・・・・
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posted by 小楠 at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判