2007年11月06日

東京裁判弁護資料5

ワーレン弁護人・岡本(敏)弁護人冒頭陳述

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
今回は昭和22年3月18〜19日のワーレン弁護人「満洲部門」冒頭陳述の一部からで、全文朗読となりますが、陳述で予告された後日の書証提出の多くが却下となっています。
 ここでは柳条湖事件前の状態が如何なるものであったのかを説明しています。
写真は柳条湖現場を検証するリットン調査団
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引用開始
 満洲部門に関する証拠を提出するに当たりまして、1931年9月18日のいわゆる奉天事件を中心とする問題は既に終了せるものと見なされて居り、且つポツダム宣言もかかる古き事件を追及しようとは考えていなかったという事を最初に謹んで申し上げます。

第一節 奉天(柳条湖)事件前の諸問題
 露仏独のいわゆる三国干渉は遼東半島に対する日本の正当なる主権獲得を阻害し、日本軍が撤退するや否や、右三国及び英国は中国をして其の領土の移譲を強制せしめ又露国は中国と秘密条約を締結し、全満を占領し、朝鮮にも侵入せんと企てました。日本は其の隣国と同様の運命に陥るを欲せず、1904〜5年露国と戦いこの失地を恢復するに至ったことは証拠の示す通りであります。爾来日露は1907年乃至1916年に締結せられた協約により満蒙に於て勢力範囲に付て諒解に到達しましたが、過去の経験は日本をして権益の確保に細心ならしめたのであります。従ってその目的のため1905年乃至1915年に於て日本と中国との間に幾多の条約及び協定が調印せられました。
 併しながら1921〜22年のワシントン会議前後に於て、日本はドイツより獲得せる山東半島の権益を中国に還付し中国に対する借款及び顧問に関する優先権を放棄し、且つ日本の極東に於ける優越的地位を認めた石井・ランシング協定及び日英同盟を破棄致しました。これらの事実は日本がその隣国殊に中国に対し日本居留民が該地に於て迫害せられて居るにも拘らず友好関係を維持せんと努力した誠意を示すものに外ならないのであります。
 1911年の中国革命、1917年の露国革命は極東を徹底的な混乱に陥れたことを立証致します。至る所に排外運動殊に排日ボイコット及びテロが行われました。弁護側は奉天事件前に於て蒙った日本人生命及び財産の損害に付き証拠を提出致します。中国内乱の悪化が日本権益に及ぼした影響、殊に一方に於て満州の張作霖が北支に侵入し北京に於て元帥と称すれば、他方に於て国民党は北伐の師を起し、南京政権を樹立したことによる影響を説明します。・・・・
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posted by 小楠 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(2) | 書棚の中の東京裁判