2007年11月01日

東京裁判弁護資料1

清瀬一郎弁護人冒頭陳述

戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回からは小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。先ずは清瀬一郎弁護人の一部から。
昭和22年2月24日、部分却下、一部朗読禁止
写真はキーナン検事とやりあう清瀬一郎弁護人

kiyose.jpg

次は朗読禁止された部分です。
引用開始
(以下は朗読禁止部分)
 日本は1945年7月26日聨合国より申入れたポツダム宣言を受諾し其後降服をしたのであります。本裁判所は此の降服文書の条項に基いて創設せられました。聨合国申出のポツダム宣言を全体的に受諾したりという意味に於て無条件に降服したりということは誤りではありませんが我々はポツダム宣言それ自身が一の条件であるという事を忘れてはなりませぬ。
 ポツダム宣言はその第五条に「以下が我々(聨合国)の条件である。我々は断じてこれを変更することなかるべし」と明言して居ります。無条件降服という文字はポツダム宣言ポツダム宣言第十三条と降服文書第二項に使用せられて居ります。これはいずれも日本の軍隊に関することでありまして我軍隊は聨合国に無条件に降服すべきことを命じて居るのであります。ここに無条件降服という文字を使用したるがためにポツダム宣言の他の条項が当事者を拘束する効力を喪うのであると解すべきではありませぬ。

 而して本件に於ては同宣言第十条に於て使用せられた「戦争犯罪」という文字の意味が重要な問題となって居ります。そこで弁護側は日本側、換言すればポツダム宣言を受諾するに決定した時の日本の責任者が宣言受諾の時この問題たる字句をいかなる意味に解したかを証明するでありましょう。又1945年の7月末又は8月初に於て日本並に世界の文明国に於てこの文字を一般にいかに解して居ったかということを立証する証拠も提出せられます。これにより国際法に於て用いられる右語句は「平和に対する罪」及「人道に対する罪」を包含しない事が明かとなります。
 以上は当裁判所がこれを設定したる基礎たる憲章中の第五条のA及Cの犯罪につき管轄を有せずとの主張を支持するが為に必要であります。
 ポツダム宣言受諾により日本は当時現に戦われつつあった太平洋戦争に降服したのであります。降服のときに満洲事件、張鼓峰事件、ノモハン事件について降服する考えはなかったのであります。
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posted by 小楠 at 07:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判