2007年11月07日

東京裁判弁護資料6

米アボット記者の満洲視察記

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
今回は昭和22年4月8日、法廷への提出予定であった著名な米国新聞記者による公平かつ偏見のない満洲問題に関する見解を一部抜粋してみます。結果は未提出となっています。
写真は張作霖爆殺現場
explosion.jpg

引用開始
ウイリアム・J・アボット
クリスチャン・サイエンス・モニター編集主幹
(1931年12月5日)

 満洲に於ける軍事行動と外交活動の舞台から合衆国へ帰ると、殆ど米国人は極東情勢に関する正確な知識を所持していないという印象を持たざるを得ない。即ち、日本は国際聯盟構成国としての協調に違反し、九カ国条約下の責任を全く忘れ去り、パリ条約を故意に廃棄しようとしている、そして、友好国の領土を狙い、軍国主義的土地掠奪者の役割を演じている、といった漠然とした印象を抱いているようである。
 私はこれらの嫌疑のどれ一つとして成立しないと確信している。しかし、満州の支配をめぐって現在進行している論争の理非曲直については、若干の考察なしには理解できないであろう。

責任ある政府の不在
 有効かつ責任ある支那政府は、今日存在していないという率直な断言に、支那に好意を持つ友人達がショック受けるだろうことは判っている。それでも私は、この断言が文字通りに正しいと信じている。
 南京政府の権威は、支那の領土と国民のほんの一部にしか及んでいない。それは未だかつて一度も満州に及んだことはなく、その領域は、盗賊としての手腕で獲得した権利を父親から相続したところの「若き元帥」張学良によって支配されていた。
 南方に於ては、南京政府の権威は、広東政府として知られているものによって、実質的に存立を危うくされている。・・・・
 中華民国の真の創立者である孫逸仙の未亡人は、現在の政府は彼女の夫が発表した基本理念に合致していないと非難した。彼女の否認は、彼女の弟の宋子文がその政府の財政部長をしているという事実によって、更に印象深いものになっている。広東側は、蒋介石が南京政府を率いている限り合同を拒否した。それなのに日本は、この指導者とのみ取引すると主張している。
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2007年11月06日

東京裁判弁護資料5

ワーレン弁護人・岡本(敏)弁護人冒頭陳述

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
今回は昭和22年3月18〜19日のワーレン弁護人「満洲部門」冒頭陳述の一部からで、全文朗読となりますが、陳述で予告された後日の書証提出の多くが却下となっています。
 ここでは柳条湖事件前の状態が如何なるものであったのかを説明しています。
写真は柳条湖現場を検証するリットン調査団
lytton.jpg

引用開始
 満洲部門に関する証拠を提出するに当たりまして、1931年9月18日のいわゆる奉天事件を中心とする問題は既に終了せるものと見なされて居り、且つポツダム宣言もかかる古き事件を追及しようとは考えていなかったという事を最初に謹んで申し上げます。

第一節 奉天(柳条湖)事件前の諸問題
 露仏独のいわゆる三国干渉は遼東半島に対する日本の正当なる主権獲得を阻害し、日本軍が撤退するや否や、右三国及び英国は中国をして其の領土の移譲を強制せしめ又露国は中国と秘密条約を締結し、全満を占領し、朝鮮にも侵入せんと企てました。日本は其の隣国と同様の運命に陥るを欲せず、1904〜5年露国と戦いこの失地を恢復するに至ったことは証拠の示す通りであります。爾来日露は1907年乃至1916年に締結せられた協約により満蒙に於て勢力範囲に付て諒解に到達しましたが、過去の経験は日本をして権益の確保に細心ならしめたのであります。従ってその目的のため1905年乃至1915年に於て日本と中国との間に幾多の条約及び協定が調印せられました。
 併しながら1921〜22年のワシントン会議前後に於て、日本はドイツより獲得せる山東半島の権益を中国に還付し中国に対する借款及び顧問に関する優先権を放棄し、且つ日本の極東に於ける優越的地位を認めた石井・ランシング協定及び日英同盟を破棄致しました。これらの事実は日本がその隣国殊に中国に対し日本居留民が該地に於て迫害せられて居るにも拘らず友好関係を維持せんと努力した誠意を示すものに外ならないのであります。
 1911年の中国革命、1917年の露国革命は極東を徹底的な混乱に陥れたことを立証致します。至る所に排外運動殊に排日ボイコット及びテロが行われました。弁護側は奉天事件前に於て蒙った日本人生命及び財産の損害に付き証拠を提出致します。中国内乱の悪化が日本権益に及ぼした影響、殊に一方に於て満州の張作霖が北支に侵入し北京に於て元帥と称すれば、他方に於て国民党は北伐の師を起し、南京政権を樹立したことによる影響を説明します。・・・・
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2007年11月05日

東京裁判弁護資料4

ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
これは昭和22年2月25日のローガン弁護人冒頭陳述の一部からですが、これも部分却下となり、陳述で予告された後日の書証提出の多くが却下となっています。
写真はローガン弁護人
lowgan.jpg

引用開始
第一 降服、本裁判所の創設、諸条約、並びに日本の憲法その他諸法規に関する基本的証拠書類の最終部分から。
(書証提出却下部分)
 日本の諸国策の樹立されたのは、軍事的諸事件発生後のことにして、その前にあらざることを立証致します。かくて、その後の諸政府は、当時の状況をそのまま受け容れざるを得ざりしものであって、これら諸事件の局地的解決のために・・・の企てが為されたのであります。

第二 国際法を創設するものとしての諸条約に関し他の諸国家の為せる行動及び声明、個人的責任の存せざること、外交上の責任免除、並びに訴追され居る犯罪の性質、に関する証拠より
 検察側諸国家中には自己の行動並びに権限によって、自ら、各種条約の規定約定を犯し、且つこれを無視したるが故に、これを日本に強要せんとすることは禁反言の原則により為し得ざるものなることが立証せられます。例えば特に、ロシアのフィンランド侵略、ロシアの国際聯盟よりの追放、ロシアのバルト諸国侵略、ロシアの満洲侵略及び、イギリスとロシアのイラン占領に関する証拠を提出致します。

 諸国家代表の公式声明、及び諸委員会の議事録を証拠として提出致します。これはある種の条約の効力並びに解釈に対する諸国家の意義並びに意図に関する疑念を一掃するものであります。
 何故に或る種の条項が国際法に照して、一部は採択され、一部は拒否せられたかの理由及び決定を明らかにするものであります。更に条約違反に対する個人的責任を創定したり、或はそれに対し個人的処罰を規定したりするような意図乃至は協定は、諸列強に絶対に存せざりしことが検察側諸国の代表の行動及び声明中より立証せられます。これは周到なる準備がなされたるにも拘らず、遂に採択せられざりし、ブカレスト約款によって立証せられます。
 同様の禁止例は1922年の潜水艦戦闘条約、ヴェルサイユ条約に伴って持たれた会議及び委員会会合並びにハーグ条約第二章、第三条の四項中に証明されております。更に、太古より、外交官に対しては責任免除の権限を与えんと諸国家が常に企図せることは、エ・ラ・シャベル条約、ウィーン条約、及びウェストファリア条約の立証する通りであることが示されます。
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2007年11月03日

東京裁判弁護資料3

高柳賢三弁護人結語

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
今日も高柳賢三弁護人冒頭陳述で、その結語の一部からですが、第一回は昭和22年2月24日で、全文却下(全面朗読禁止)で、昭和23年3月の最終弁論でようやく全文朗読されたものです。
判決文朗読に聞き入る弁護団
defence2.jpg

引用開始
 本裁判の開始以前に、わが法曹界では、いわゆる裁判所条例なるものは、裁判所に対し敵国の指導者を処罰する権限を与え且つこれを命ずるために現行国際法の法則にお構いなく包括的用語を以て規定せられた専断的な裁判指針にすぎないとか、いわゆる裁判所なるものは、司法的機関ではなく刑罰をふり当てる行政的機関にすぎぬとか、条例に表現された聨合国政府の政策と抵触する場合には国際法は当然無視されるであろうから今更むきになって国際法の議論をしてもはじまらない、といったような意見がしばしばささやかれたのであった。

 しかし1946年5月3日、本裁判の開廷に当って裁判長が述べられた「本日ここに会合するに先立ち、各裁判官は、法に従って恐れることなく,偏頗の心をもつことなく、裁判を行う旨の合同誓約に署名した」、「われわれの大きな任務にたいして、われわれは事実についても法についても虚心坦懐にこれを考慮する」、「検察側は合理的な疑の存せぬ程度に有罪を証明すべき立証責任を負う」との言葉によって右のような迷想はほとんど解消したのである。
 法に優越する何者をも認めない英米の法伝統を知る者にとっては、裁判長のこれらの言葉の意味は明々白々であった。懐疑主義者はたしかにこれは面喰ったが、しかしなお「法に従って」とは「国際法に従って」という意味に用いられたのではなく、「条例に規定せられた法に従って」という意味にすぎないのだと言い張った。
 しかしさらに主席検察官がその劈頭陳述において、被告人達は国際法に関する行政府の決定によってではなく、現行の国際法そのものによって断罪せらるべきであり、本条例はかかる現行国際法を宣明せんとするものに過ぎないゆえんを明白にされた。これによってこの疑は完全に解消した。
 主席検察官自ら、コモン・ロオに育まれた著名な法律家である。私人に対する政府の特権を何ら認むることなく、行政府の法解釈も公正な裁判所によって排斥されることを認めるという英米司法裁判の特徴をなすフェア・プレイの精神を体得しておられるのである。そして政府の代表者も判決に於て自らの主張が全部排斥された場合にも、欣然としてこれに服するのである。

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2007年11月02日

東京裁判弁護資料2

高柳賢三弁護人冒頭陳述

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
今日は高柳賢三弁護人の冒頭陳述のごく一部ですが、第一回は昭和22年2月24日で、全文却下(全面朗読禁止)で、昭和23年3月の最終弁論でようやく全文朗読されたものです。
写真は法廷内の弁護団
defence.jpg

引用開始
 さてわれわれは、右の如き一般に認められた解釈の準則に従って当時の責任ある政治家のなした声明を顧ることとしよう。
(イ)アメリカ合衆国
 ケロッグ国務長官は、1928年4月28日の演説において次の如く述べる。
「アメリカの作成した不戦条約案中には、自衛権を制限乃至毀損するが如き点は少しも存しない。自衛権はすべての独立国に固有のものであり、又あらゆる条約に内在している。各国家はいかなる場合においても、又条約の規定いかんにかかわらず、攻撃もしくは侵略から自国の領土を防衛する自由をもち、自衛のために戦争に訴える必要があるかどうかは、その国のみがこれを決定し得るのである。正当な理由ある場合には、世界はむしろこれを賞讃し、これを非難しないであろう」。

 次でケロッグ国務長官は、右条約調印を勧告せられた各国政府にあてた1928年6月23日の覚書において、フランスの強調した六項目の重大な「考慮事項」に関連して条約に対する彼自身の「解釈」を明らかにした後次の如く述べたのである。
「かかる事情の下に、余はここに貴政府の考慮をわずらわすため、上述した変更を含む戦争放棄に関する多辺的相互条約の草案を伝達するの光栄を有するものである」。
 合衆国においては、周知の如く、本条約のモンロー主義に及ぼす効果につき大きな懸念が抱かれたのであったが、ケロッグ氏は1928年12月7日上院外交委員会に対して、モンロー主義の保障は、本条約が自衛行為を排除せず、且つ自衛行為であるか否かは合衆国のみがこれを判定する権利をもつことのうちに含まれているから大丈夫だといった。氏はさらに、アメリカ政府は国家の防衛又は国家に危険を及ぼすべきおそれある事態を防止するために必要と信ずる処置をとる権利を有すると述べ、この法則は全て他の国家にも均しく適用せられることを認めた。国務長官は又、アメリカ政府は自衛の問題の決定をいかなる裁判所に委ねることをも承認しないであろう、又他国政府もこの点については同様承認しないであろうと述べた。
 ボラー上院議員は、1929年1月3日の上院における演説及び討論について、何が攻撃となるか又何が防衛の正当性を理由づけるかを自ら決定する権利を放棄する国はないであろうと述べ、又合衆国は、他国の行動が合衆国自身に対する攻撃の性質を帯びないかぎり、これに関して自衛問題を決定することには関与しないであろうと明言した。・・・・・
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2007年11月01日

東京裁判弁護資料1

清瀬一郎弁護人冒頭陳述

戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回からは小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。先ずは清瀬一郎弁護人の一部から。
昭和22年2月24日、部分却下、一部朗読禁止
写真はキーナン検事とやりあう清瀬一郎弁護人

kiyose.jpg

次は朗読禁止された部分です。
引用開始
(以下は朗読禁止部分)
 日本は1945年7月26日聨合国より申入れたポツダム宣言を受諾し其後降服をしたのであります。本裁判所は此の降服文書の条項に基いて創設せられました。聨合国申出のポツダム宣言を全体的に受諾したりという意味に於て無条件に降服したりということは誤りではありませんが我々はポツダム宣言それ自身が一の条件であるという事を忘れてはなりませぬ。
 ポツダム宣言はその第五条に「以下が我々(聨合国)の条件である。我々は断じてこれを変更することなかるべし」と明言して居ります。無条件降服という文字はポツダム宣言ポツダム宣言第十三条と降服文書第二項に使用せられて居ります。これはいずれも日本の軍隊に関することでありまして我軍隊は聨合国に無条件に降服すべきことを命じて居るのであります。ここに無条件降服という文字を使用したるがためにポツダム宣言の他の条項が当事者を拘束する効力を喪うのであると解すべきではありませぬ。

 而して本件に於ては同宣言第十条に於て使用せられた「戦争犯罪」という文字の意味が重要な問題となって居ります。そこで弁護側は日本側、換言すればポツダム宣言を受諾するに決定した時の日本の責任者が宣言受諾の時この問題たる字句をいかなる意味に解したかを証明するでありましょう。又1945年の7月末又は8月初に於て日本並に世界の文明国に於てこの文字を一般にいかに解して居ったかということを立証する証拠も提出せられます。これにより国際法に於て用いられる右語句は「平和に対する罪」及「人道に対する罪」を包含しない事が明かとなります。
 以上は当裁判所がこれを設定したる基礎たる憲章中の第五条のA及Cの犯罪につき管轄を有せずとの主張を支持するが為に必要であります。
 ポツダム宣言受諾により日本は当時現に戦われつつあった太平洋戦争に降服したのであります。降服のときに満洲事件、張鼓峰事件、ノモハン事件について降服する考えはなかったのであります。
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posted by 小楠 at 07:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判