2007年10月22日

日本歴史の破壊煽動

昨日の鬼畜、今日の米国崇拝

 今回は「徳富蘇峰終戦後日記2」をご紹介しています。以前にご紹介した「徳富蘇峰終戦後日記」の続編で、「頑蘇夢物語」続編として06年12月の発行となっています。
写真は皇居前を埋め尽くす占領軍
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引用開始
(昭和21年4月5日〜7日)
 維新以来七十余年、ほとんど勝利より勝利に、たとい中間に若干の蹉跌があったとしても、躍進したる幸運児日本は、大東亜戦争によって、初めて敗戦の苦杯を満喫した。この敗北は、歴史上極めて比類稀なる敗北にして、例えば世界第一次戦争に於けるドイツの敗北などとは比例にならない。強いて比例を求むれば、カルタゴがローマから叩き付けられた当時を連想せざるを得ない程の惨めさである。今日の日本は、只だ地理上の名目に於ての日本で、政治的には何らの自主権などというものは爪の垢程もない。・・・・

 正直の所が、我等は日本人に対して、ほとんど幻滅を感ぜざるを得ない。もしそれが証拠を出せといわば、遠く求むるに及ばない。昭和二十年八月十五日以前の新聞と、以後の新聞とを比較せよ。それで沢山である。同じ日本でありながら、その言うこと為す事、かくまでも相違するか。あたかも一日の差は、百年を隔てても、かくまではあるまいと思わるる程の変化がある。さればアメリカ人が、この劇変を見て、これは眉唾と考え、油断をすればアメリカ人をだますために、かく化けたのではないかと、且つ疑い、且つ驚き、且つ怪しみ、且つためろうているゆえんは、彼らの立場としては、あながち不思議ではあるまいと思う。・・・・
 今日我が国民に真骨頭の無き証拠を挙げよといわば、彼等が国そのものに対する気持ちを見ればわかる。即ちその気持ちは、戦前戦後に於て、恰も寒帯から熱帯に急転し、もしくは熱帯から寒帯に急転したるが如く、実に想像もつかない程の変化を来たしている。・・・・
 今我等の手許に在る新聞を拾い読みしている内に気付きたる一、二の例を揚げんに、国旗の日の丸は面白くないから、これを改正して欲しいという論もあり、君が代も国歌としては不相応であるから、改めてもらいたいといい、また紀元節、神武天皇祭日などの事にも、相当異存をいう者があり、甚だしきは教育勅語が時世に不相応であるから、これを改正して欲しいという者があれば、否な改正などは真っ平御免、時候後れの勅語はむしろ全廃してしまえば沢山だという者もある。続きを読む
posted by 小楠 at 07:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係