2007年10月19日

蘇峰の百年計画

失われた大我に殉ずる精神

 今回は「徳富蘇峰終戦後日記2」をご紹介しています。以前にご紹介した「徳富蘇峰終戦後日記」の続編で、「頑蘇夢物語」続編として06年12月の発行となっています。
最後の解説には、「・・・蘇峰が神経質に反発したのが黄禍論だった。彼が警戒したのは、「亜細亜的」という「概括的名称」によって、日本が中国などのアジア諸国と同一視されることだった。・・・日本が朝鮮や中国と同じカテゴリーで理解されることは、日本の国際的地位にとって決定的なマイナスになる。この認識は福沢諭吉の「脱亜論」以来のものである。・・・この考え方をもっとも忠実に継承したのが蘇峰だった」とあります。
 先ず前日の百年計画と題した部分から。
写真は宮中防空壕で開かれた御前会議(昭和20年8月9日)
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引用開始
(昭和21年2月21日午後)
 スターリンは、今後更に五年計画を発表したが,予は我が同胞に向って、百年計画を予告する。百年といえば、余りに長いではないかと、疑う人もあろうが、百年でもむしろ短かきに失していると思う。それは日本が再造なすには、いの一番よりやり直さねばならぬ必要があるからだ。それで、とても現代は勿論、次代も手が届かず、漸く三代ないし四代の後に、再び日本らしき日本を見ることが出来よう。しかしそれも、油断をすれば、到底未来永劫その時節は、到来しまいと思う。
 兎角世人は、物事を甘く見過ぎている。例えば、進駐軍も、三年か五年も経てば、引揚ぐるであろう。そうすれば、五、六年の後には、日本もまた一人前の国となり得るであろう。否な、やがてはソ連とアングロサクソンの衝突が爆発し、その機会が即ち日本再興の好時期である、などと、まるで昼飯を抜きにした者が、夕飯のきたるを待っているかの如き話をする者がある。しかしかかる料簡では、到底再造の見込みはないものとせねばならぬ。何故なれば、日本は五年や十年では、到底立ちあがるべき力は持ち得ないからである。・・・・

 日清戦争から日露戦争までの間、いわゆる臥薪嘗胆時代が、十年を経過した。満洲事変から支那事変までが、かれこれ六年を経過した。支那事変から大東亜戦争に至るまで、四年半を経過した。これらの間で、真に一定の方針を定め、準備をしたのは臥薪嘗胆時代の十ヵ年であろう。その他はむしろ自然の惰性によって、ここに到りたるものであって、人が勢いを制したのでなくして、むしろ勢いが人を制したものといわねばならぬ。予の如きも、今日となっては、自ら遺憾とする点少なからず。例えば昭和十二年七月七日の支那事変の勃発の如きは、予としては極めて面白からぬ出来事であったが、しかも火既に原野を焼く時に於いては、むしろこれを怪我の功名として善用せんことを期し、それが一転二転三転して遂に今日に到ったものである。いわゆる下司の知恵は後とからというがこの事である。・・・
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posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係