2007年10月16日

共産国の訪問者の監視

日本におけるソビエト、赤い訪問者

当時のようにスパイ活動を緊張感をもって監視していても十分ではないのに、スパイ防止法もない今の日本政府と日本人の神経を疑いたくなります。

今回ご紹介している本「孤独な帝国 日本の1920年代」は、1921(大正10)年から27(昭和2)年まで駐日フランス大使を勤めたポール・クローデルの書簡を抜粋したものです。
 ワシントン会議以降の日本人の困惑とフランスから見る世界情勢の中の日本がよく分かる内容です。
写真は流行の先端を行く「モガ」
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引用開始
 私は、東京であらたな同僚となったソ連大使、ヴィクトール・コップ氏と知り合いになりました。人の目をまともに見ようとしない脂ぎった肥満漢です。ロシア人というよりはドイツ人的で、ドイツ人というよりはユダヤ人的な人物です。ライプツィヒの見本市にいくらでもいるようなタイプです。彼は当地で目立たない生活を送っており、自分のことが話題にならないようつとめているのですが、それでもまずいところで目立ってしまうことがなきにしもあらずで、ドイツ大使を除けば少数の人としかつきあっていません。ドイツ大使にはおおっぴらに後ろ盾を求めています(しかし、このことをドイツ大使のゾルフ博士は喜ばしく思っているようには見えません)。
 数カ月前まで帝政ロシアのメランコリックな残骸をとどめていた、うらぶれた古い大使館は、塗装をやりなおして若返り、皇居から間近の場所に、ハンマーと半月鎌の国旗を誇らしげに掲げています。コップ氏は大勢の人々を引き連れてきました。書記官、担当官、学生などおよそ四十人、妻子まで入れると総勢七十人になるでしょう。
 商務担当官のヤンソン氏は、ソビエトの新体制にもとづき原則として日本との貿易全般を担当し、十人ほどの部下に囲まれて堂々と執務しています。当然のことながら、これらの人たちは全員が大使館のなかに住むことはできません。職員の多くは社会主義のシンパと見られる日本人の家に下宿しています。大使館員には、当地の政治的デモに参加することは差し控えよとモスクワから指示が出ているようではありますが、こうした厄介な客を監視する東京の警察は、緊張しピリピリしています。

 東京以外では、神戸、函館、小樽、敦賀に大勢の職員を擁する領事館が設置されました。
 ソビエト政府としては、こうした公式の職員を自国のプロパガンダのために使うようなことはできず、いくつかの使節団を送ってはみたのですが、さほど歓迎さりませんでした。〈労働者〉使節団は警察の手で拘束され、日本人の訪問者は面会することができませんでした。〈作家〉のピルニアクも同じように要注意人物の扱いを受け、警察の監視から逃れるためにある書記官の家に身を寄せざるをえませんでした。日本政府は、こうした措置をとったのはソビエトから赤い訪問者が来ないようにするためだったと言っています。
 それにもかかわらず、政治のプロパガンダがこっそりと流されていることは、疑う余地がありません。
・・・・
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posted by 小楠 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係