2007年10月11日

災害時他国の友情と国益

各国の同情を信頼する危険

今回ご紹介している本は「孤独な帝国 日本の1920年代」は、1921(大正10)年から27(昭和2)年まで駐日フランス大使を勤めたポール・クローデルの書簡を抜粋したものです。
 ワシントン会議以降の日本人の困惑とフランスから見る世界情勢の中の日本がよく分かる内容です。
今回は関東大震災後の世界の慈善活動についての書簡です。
写真は著者のクローデル
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引用開始
1923年11月7日
 指導層の心中の思惑がいかなるものであれ、日本の国民は、東京と横浜を襲った災害に対して全世界で起こった崇高な慈善活動に、感動しないではいられませんでした。このうえない華々しさをもって、美徳を誇示しつつ慈善活動を行ったのは、なんといってもアメリカです。・・・
 東京の川や運河にはアメリカの駆逐艦や哨戒艇が入りこみ、首都の通りにはUSAと書かれた救急車やトラックが走りまわりました。帝国ホテルは、ワイシャツ姿の陽気な救助隊員でにぎわっていました。まるで1918年、19年の大戦後のバリにいるかのようでした。15日間、小柄な日本人は、いたるところに侵入してきたこの騒々しい巨人たちのなかにあって、心安らかではなかったでしょう。
 その後、アメリカ人たちは、自分たちの豪華な救急車が空っぽのまま、コンビーフやアスパラガスの缶詰は店に山積みになったまま、持ってきた衣服は希望者に売られ、結局なにもかもが自分たちとは無関係に、この国の庶民は日々を過ごしていることに気づきました。アメリカ人たちは、海軍大将アンダーソンが言ったとされる「私たちはふたつよいことをしました。すぐに駆けつけました。そしてすぐに立ち去りました」というユーモラスな別れの言葉を残して早々に引きあげました。

日本人がいちばん感謝しているのは、ふたつ目のほうです。・・・・・
 日本の無言の呼びかけに応えたフランスおよびフランス植民地の寛大さは、ここでは強い印象を残しました。この点に関しては、ふだんはあまりフランスに対して友好的でない『日々新聞』につぎの記載が見られます。
「アメリカの援助が最も早く、かつ最も大規模なものだった。この事実は、アメリカ人の特長である迅速さという優れた資質が発揮された結果であるのみならず、国が豊かで距離が近かったためでもある。しかし、私たちは物質的な援助の規模のみに感謝しているのではない。かつては裕福だったが、四年間に及ぶ莫大な費用のかかる戦争の試練を経たフランス人にとって、現在は一フランでも貴重なはずである。彼らが被った損害にくらべれば地震の被害はとるに足らない。世界のなかの最強の軍隊に対抗して、すさまじい状況下で戦い、フランスは血を流し疲れはて、しかし汚れなき名誉と光り輝く栄光とともに戦闘を終えたのである。このような国民からはいかなる同情の証しも期待することはできなかった。フランス人が悲惨な苦悩のさなかにあって、損なわれた資源の一部を割き、彼らから見れば地の果ての日本へ災害救助にやってくるとは、夢想だにしていなかった。
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posted by 小楠 at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係