2007年10月10日

英米ブロックによる不安

極東での英米ブロック構築による日本の不安

 軍事占領下でGHQが日本国民に発表報道した「太平洋戦争史」では、このフランス大使の見方のように、英米による日本への圧迫などは全く国民に知らされませんでした。

今回ご紹介する本「孤独な帝国 日本の1920年代」は、1921(大正10)年から27(昭和2)年まで駐日フランス大使を勤めたポール・クローデルの書簡を抜粋したものです。
 ワシントン会議以降の日本人の困惑とフランスから見る世界情勢の中の日本がよく分かる内容です。
1923年(大正12)9月1日は関東大震災の日です。
写真は1923年9月1日の関東大震災
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引用開始
1923(大正12)年10月25日
クローデルからレジェ(仏外務事務総長)宛ての私信
 古い日英同盟がイギリス側から廃棄されたこと、極東である種の英米ブロックが構築されていること、これについてはシンガポール軍港化計画が提案されたことで様相がはっきりしたのですが、こうしたことが日本を大いに困惑させ、大きな不安に陥らせています。
 日本は、極東における政策全体を見直し変更しなければなりませんでした。私たちはその様子をこの二年のあいだ見守ってきました。中国で直接行動政策がとれなくなりましたから、一見したところ日本は、その橋頭堡や当初配置した軍隊を引きあげているように見えます。山東、漢口、満洲北部、シベリアからです。その一方で、周囲が敵ばかりでは困りますから、日本はロシアとの関係改善につとめています。躊躇しつつ慎重に。現内閣には後藤がいますから、〈一時的和解〉には到達するであろうと思われます。それは必要なことですから。

 しかし、ロシアと和解するだけでは充分ではありません。日本は、恐ろしく孤立し、あるいは仲間はずれになっていると感じており、偉大な盟友イギリスと手を切っては、世界情勢の中心軸からはずれてしまい、立場を失うと感じています。現在の世界情勢は広大な東半球全体に影響を及ぼしており、そのなかにあって日本は追放され、いわばロビンソン・クルーソーと化しているのです。
 日本をとり巻く英米の世界が疑惑を深め、中国ではできるかぎり小さな分け前しか日本に与えまいと決めているだけに、日本の孤立はいっそう危険なものとなっています。どうすればこの孤立から抜け出られるか。日本には二つの選択肢があります。
 ひとつはロシアやドイツとの協調です。後藤子爵が温めているといわれる考え方で、軍人やインテリ層の有力なグループに共有されているものです。しかし、ロシアとドイツの崩壊は、ますます顕著な傾向になってきていますから、この種の三国協調は現実にはうまみのないものとなっているのです。
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posted by 小楠 at 07:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係