2007年09月27日

ヤポニカ日本この国2

アーノルドの麻布の住まい

本文の前に、今回の福田内閣の支持率、毎日新聞では57%と発表していますが、ネット世論ではどうでしょうか。全く違う結果だとしか思えないのですが。

【タイトル】
9月26日発足の福田内閣について
【質問文】
9月25日、福田内閣の閣僚が決定し、名簿が発表されました。
この内閣に対する期待の度合について選択してください。

■結果画面へはこちらからどうぞ
http://www.yoronchousa.net/result/2892
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 今回ご紹介している『ヤポニカ』は英国人の詩人、ジャーナリストで、『デイリー・テレグラフ』の編集者サー・エドウィン・アーノルド著で、アメリカからこの本の挿絵を描くのにR・フレデリック・ブルームが派遣されています。アーノルドが来日滞在したのは1889年(明治二十二年)末からで、二回目の来日時に仙台出身の女性、黒川たまと結婚。彼には三回目の結婚で、滞日時の年齢は58〜60歳でした。
 19世紀後半の欧米の新聞・雑誌の隆盛普及は、挿絵に支えられていたといっても過言ではなく、以前にご紹介した『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のような、紙面の50%以上が挿絵のものまで出現しています。この本の挿絵には訳者の解説がついていますので、それも部分的に引用します。
写真は麻布の自宅でくつろぐアーノルド夫妻
japonica03.jpg

では挿絵の解説から
引用開始
 明治二十二年(1889)十一月初め、来日直後のアーノルドは東京・麻布に居を構えた。家主は警視庁に勤務する麻生氏で、隣接する広壮な本邸には池と庭があった。麻布は当時は郊外とされ、外国人の居住は外交官、聖職者、教師をのぞいて認められていない地域であったが、家主が出版する本の英語訳と家主の娘たちの家庭教師を引き受けるとの名目で、住むことが許可された。
 直前の住人は日本政府の顧問の元イギリス陸軍大将パーマーで、寄棟屋根の日本家屋は、障子をガラス窓に替えられていた。アーノルドと同居した27歳になる長女キャサリン・リリアンは、日本の家屋になじめず、自室を洋風に改装する。しかし、アーノルド自身は畳の生活にとけこみ、この家に近隣の僧や著名人を招き取材を重ねていく。彼にとってこの家は、日本研究と執筆の中心であったのである。
解説引用終わり

この挿絵は「通りを小走りに歩くむすめの、むすめらしい小刻みな足取り」です。
japonica04.jpg

解説抜粋
 都心からやや離れた自然の豊かな住宅地に住まいを求めたアーノルドに対し、ブルームは都心の商業地域に隣接した有楽町三丁目に住んでいたので、この情景は今日の銀座近辺と思われる。店先を被った大暖簾と人力車を引く車夫は、日本女性とともにブルームが好んだモチーフである。すれ違う人力車と女性の小走りの動きの対比が生き生きとし、銅板の線描が小気味いい。
解説引用終わり

では本文から引用します。
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posted by 小楠 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A