2007年09月03日

南京攻略特派員特電1

大山大尉の霊と脇坂部隊

以前に昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本をご紹介しましたが、今回からはその後編のご紹介をします。こちらは昭和十三年十二月七日発行で、前編と同じく約750ページにもなる分厚い本です。昭和十二年十一月の杭州湾敵前上陸から南京戦そして十月末の広東入城ころまでの特電を集めたものです。
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引用開始
虹橋飛行場にて十一月(昭和十二年)九日
【朝日、平松、中村特派員】

 恨みの虹橋飛行場――大山大尉、斉藤三等兵曹が無念の最後を遂げた虹橋飛行場は遂に我軍の手に帰した。奇しくも大山大尉遭難の日、月はかわれど日は同じである。大尉らの命日だ。記者等はこの虹橋飛行場が陥落した直後今度の上海戦争の実に発火点となったこの大山大尉事件の現場を見、そうして両勇士の霊を慰めた。
 太い丸太棒と鉄条網から出来たバリケードが虹橋飛行場正面の広場一杯を埋めて居る。正門前に野菜白米その他いろいろな食糧が所嫌わず散乱しトラックが一台横倒しに倒れ黄包車も転がり書類、衣類が鮮血に染って凄惨な情景を見せている。
 記者等は暫く狼藉たる門前を徘徊して先ず大山大尉戦死の地を探し求めてその霊を弔う。あの頃は青葉で182号と書いた幌型の陸戦隊自動車が豆畑に頭を突込んで車体には蜂の巣のような弾痕、運転台は真赤な血の海、その傍に大山大尉が刃の跡も残虐を極め仰向けになって無残な最期を遂げていた。この眼で見た大山大尉憤死の場所、どうして忘れることができよう――日章旗の翻る飛行場区面を400メートル彼方に眺めながら大山大尉最後の場所に立ったのだ。

 記者等は思わず帽子をとって暫し黙祷した、それから飛行場正面に入って脇坂部隊長を訪れると正門上の狭い部隊長の室には○○○が奉置されてあり、その横の壁に「謹弔大山海軍大尉の英霊」と大書してある。・・・・
 記者等は大山大尉等の英霊を弔ってから軍用飛行場として敵が一歩たりとも外来者の出入を許さなかった飛行場に行く、ここは上海戦争が始まるとわが飛行隊の活躍に先立って敵が租界爆撃を敢行したその重要な根拠地でもあったのだ。・・・・記者等の姿を見つけたのかヒューンと執拗い狙撃の弾丸が流れる。格納庫の間には緑色に塗った高さ5メートル長さ20メートル位の小屋掛みたいな大きな荷物が数個置いてある。
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posted by 小楠 at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変