2007年09月01日

洗練された日本精神3

美徳としての克己

「誇り高く優雅な国、日本」という本をご紹介します。
 著者は1873年グァテマラ市に生まれ1927年パリで亡くなった、エンリケ・ゴメス・カリージョという報道文学者で、父親はスペイン貴族の血筋に誇りを覚える保守的な人物ということです。
大国ロシアとの戦いに勝って西欧諸国を唖然とさせた日本は、当時ヨーロッパ中の注目の的となっていました
 来日は1905年8月末横浜到着となっており、確かな滞在日数は不明ですが、ほぼ二ヶ月後にはフランスへの帰途についたようです。帰路の旅先から、彼はパリにいる友人のルベン・ダリーオ(ニカラグアの大詩人)にあてた手紙の中で「もしあなたが私の葬式で弔辞を述べるようなことがあったら、私の魂が東洋の芸術家のそれであったということ、そして金色に輝く漆で大和の花や小鳥や娘たちの姿を描きたいと願っていたということを忘れずに人々に伝えてほしい」と書き送っています。
では「洗練された精神」と題する章から引用してみます。
前回からの続きになります。
写真は武士道の記述に出てくる山岡鉄舟
carrillo3.jpg

引用開始
 これを、諸君は優しさの欠如であると思われるであろうか。日本人の親ほど情愛深い親は世界でも珍しい。彼らが微笑むのは、口許に微笑を浮かべずに悲しいことを話してはならないという厳しい掟に従っているからだ。ハーンによれば、「この掟がある理由はさまざまである。怒りや悲しみはそれがどんなに大きなものであれ、じかに人に見せるのは無益で時には不作法なものであるという確信が、最下層の農夫の心の中にさえ根をおろしている。
 誰か村人が泣いているようなところに出くわすと、彼はあわてて涙を拭い、われわれにこう言うのだ、“非礼をお許し下さい”と。 このような道徳的な理由の他にも、かのギリシャ芸術が痛ましい表情を和らげて表現したのと同じ美的見地からの理由もある」。

 確かに、ハラキリの場面を描いた絵の中でも主人公はつねに微笑んでいる。拷問や末期の苦悶も武士の唇を歪めさせることはできない。ミットフォードは、滝善三郎自刃の厳かな場面で、居並ぶ者たちがみな深刻な顔をしているのに本人だけは微笑んでいると指摘している。
 ミットフォードは語る。「ゆっくりと、至極ゆっくりと、善三郎は微笑しながら歩を進め、居並ぶ人々に深々と頭を下げて挨拶し、次いで祭壇の前で礼拝し、赤い毛氈の上に座る。そこが腹を切り開く場所である。一人の友人が、剃刀のように研ぎ澄まされた短刀を差し出す。善三郎は“すべての罪は私にある”と言う」。そして悲劇的な贖罪の儀式がはじまる。「彼は従容として刀を手に取ると、左から右へ急ぐことなく腹を切り、最後に頭を深く前へ下げる」。 この崇高なる礼は、外国人たちが馬鹿にする軽々しいお辞儀と同じものである。大和の人間はどのような状況のもとでも態度を変えないのだ。挨拶をするときも人を殺すときも同じであり、人を殺すときも自分が死ぬときもまた同じである。彼らは物心がつくようになると克己の精神を養う。・・・・・
続きを読む
posted by 小楠 at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A