
今回ご紹介している『ヤポニカ』は英国人の詩人、ジャーナリストで、『デイリー・テレグラフ』の編集者サー・エドウィン・アーノルド著で、アメリカからこの本の挿絵を描くのにR・フレデリック・ブルームが派遣されています。アーノルドが来日滞在したのは1889年(明治二十二年)末からで、二回目の来日時に仙台出身の女性、黒川たまと結婚。彼には三回目の結婚で、滞日時の年齢は58〜60歳でした。
写真はアーノルド像

引用開始
次に「銀座」、日本の首都の「ブロードウェイ」に立ち寄る――実際すばらしい往来で,舗装された歩道と中央に市街電車、有名銘柄の店がある。ここでは町の商売は衰え、他と調和して、母や姉妹が赤子を背負ってペチャペチャおしゃべりをし、子供たちは凧を揚げている。商人たちは炭の真赤に燃えた火鉢の脇に座っている。
魚の行商人、たくあん、菓子、柿、おもちゃ、パイプ、凧、旗、重荷をかつぐ苦力、盲目の老三味線奏者、仏教僧侶、黒大理石のような髪をし、鳩の足のようなかわいい娘たち、落ち着いて動じない細い眼の赤子、道での知人との出会い、おおまかなお辞儀とあいさつ、日本の役人は、別当を伴って馬に乗ってくる。花の行商人、去勢男、鳥屋、茶屋、少しおかしな家の入口、開かれた屋内、風呂場、寺院、石庭、籠細工、きしむ米舟――なにもかもが実際に、日本のすばらしい常に興味のある首都である。
あるいは城を横切って多くの入口、出口から銀座に入っていたのかもしれない、たとえば「虎の門」「桜田門」あるいは「半蔵門」は皇居に通じている。この城は都市の大きな特徴であり、広大な要塞化した城郭であり、あらゆる所が非常に高い土手で囲われ、古木の松が植えられ、巨大な石造りの壁、その足下には静かな幅広い堀、冬期においては野性のあひるとがちょう、ごいさぎ、あおさぎでいっぱいになる。首都の装飾として、これらの重厚な城壁と草の緑の傾斜、ふしのあるもみの木で影がつくられるという外見で、これ以上のすばらしいものはあり得ない。
石垣は海の絶壁のように堅固で、鋼鉄艦の衝角のように石の巨大なかたまりで、すべての角にはめ込まれ、曲線の突き出た外観をしている。それゆえに大きな石のかたまりはその場所をうしろに移動しない、地震さえも石垣にはほとんど影響を与えないだろうと思える。皇居において日本の大工や建具師がなしえたものの完全な例をみてきた、そのうえ高度な芸術作品がある天井のどれも、濃い褐色の漆により、非常にみごとに飾られた羽目板に分割されているにもかかわらず、もっとも高価な絹やもっともすばらしい彫刻がまわりのすべてに惜しげもなく使われている。・・・
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