2007年08月22日

ベルツの日記13

対馬沖海戦前の日本:明治38年

 ドイツ人医師エルヴィン・ベルツは、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として、明治9(1876)年6月、27歳の時に来日しました。彼の日記が「ベルツの日記」として出版されています。その中から
日露戦中の日記を引用してみます。前回と前後するものもありますが、ロシアのバルチック艦隊が日本へ進撃中の国内の様子です。
写真は鎮海湾を出撃する連合艦隊(日露戦争古写真帖より)
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引用開始
3月16日(東京)
 午後、結婚式の後の日本式披露宴に出席。唯一の西洋人だった。長与又郎博士の令妹が、一青年医師と結婚したのである。そして今日、帝国ホテルで300人の客を迎えて、その披露宴が行われた。・・・
 新婦は、日本婦人の正式礼装である。白の下着に黒の絹服をつけていた。それには幸福の山「ホウライサン」の意匠が刺繍してあったが、この意匠は、結婚の贈物を包むのに用いられる「フクサ」という、金糸入りの四角い絹布片にしばしば見るもので、すなわち松と竹と梅の花である。会衆の男子をつくづく眺めたとき、その衣服が今ではぴったり似合っていること、かれらが洋服に慣れ切っていることが目についた。25年前、このような場合の日本人の様子とは、なんという相違だったろう――服はたいていだぶだぶで、下着類は汚れ、猫背で膝が曲っていた。・・・

3月21日(東京)
 日本の力が増大するのを、合衆国では邪推の眼でみる徴候が、いよいよ著しい。二週間前にはカリフォルニア州の立法会議が、ワシントンで日本移民制限の措置を提案することを決議した。一週間前には議会の一委員会の委員長が、アメリカは何時なりと日本にほこ先を向け得るよう、その艦隊を増強せねばならないと公言した。そして今度は移民委員会が、日本人はアメリカの公民になれないとの理由をもって、テキサスにおける日本人10名の帰化を無効と宣言した。・・・

3月27日(東京)
 目覚しい日本の財政――日本の内国公債は、おそらく五倍の申込み超過になるらしく、そして今度は、ロンドンとニューヨークで三億円の新公債を起したが、しかもその条件たるや、一割引発行で四分五厘の利子という、すこぶる有利なものである。・・・担保として、政府はタバコ専売の収益を提供している。
 こうして、自分が日本のためにいだいていた唯一の懸念、すなわち財政上の懸念は一掃された。
 遼陽の戦勝後においてすら、ロシアの公債はまだすこぶる高値を保ち、日本のは安値だった。ロシアは到るところで、たやすく金を調達できたが、日本は自己の同盟国から、最もひどい募債条件を甘受せねばならなかった。今はそれが逆である。ロシアにはもう誰も貢ごうとしない。反対に日本へは、われもわれもとひしめき合って、金を貸そうとしている。
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posted by 小楠 at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B