2007年08月10日

ベルツの日記5

日清戦争のころ

ドイツ人医師エルヴィン・ベルツは、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として、明治9(1876)年6月、27歳の時に来日しました。彼の日記が「ベルツの日記」として出版されています。その中から当時の日本と日本人の姿を引用してご紹介します。
写真は箱根湯元街道(モース100年前の日本より)
balz5.jpg

引用開始
明治25年8月27日(東京)
 ここ数日は、ヨーロッパ行きの用意をした。
 今日、荷造り。妻(ハナ)は無言で根気よく、しかも上手にやるが、全く彼女でなければできないことだ。三歳のトクには、『オトウサン』がとても永いこと『ドイツ・ノ・クニ』へ『オバアサン』をたずねて行くということが、どういう意味かまだわからない。

明治26年8月17日:太平洋上、汽船オセアニック号にて
 一年に近い不在の後、ヨーロッパや通過したアメリカ合衆国の旅からさまざまの印象を得て、いま帰るところだ。日本に近づけば近づくほど、ハナやトクやウタに会いたい気持ちが、いよいよ激しくなる。ことにウタには、生まれてから初めてだ。

8月21日(横浜):日本到着
 ハナ、トク、赤ん坊のウタが待っている、『山手』のネムブリニ・ゴンザガ方へ。ハナは脚気でまだ少し顔色が悪い。トクは大きくなっていて、意外に元気だが、これはまる一ヶ月、堀内の海岸で遊んでいたからだ。ウタは、生後四ヶ月にしては、上出来の子で、焦茶色の大きい眼をしている。髪は僅かに濃いブロンド。

12月24日(東京)
 クリスマス・イーヴ! だが、楽しいこの日も憂うつだった! トクの流行性感冒がすんだかと思うと、今度は、一週間このかた、かわいい盛りのウタが同じ病気で、重い肺炎を併発し、絶えず生死の境をさまよっている。妻の振舞は悲壮を極め、子供を昼も夜も、ほとんどその腕から離さない。それこそ全く『かの女の』子供といった形で、むしろトクの方がよけいに自分のことを案じてくれる。自分自身も流行性感冒にかかっているのだ。

明治27年7月25日(宮ノ下)
 東京では号外が出た――鎮台の一部に出動命令が下り、予後備召集の準備が勧められていると。戦争らしい。
 妻(ハナ)は子供たちを連れて、昨日こちらへ来た。われわれは山口の『別荘』(現富士屋ホテル)へ移った。みな元気で健康だ。ウタとトクは、この宮ノ下で大喜びだ。みなで一緒に木賀へ金魚を見に行く。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B