2007年08月08日

ベルツの日記3

帝国憲法発布(明治22年)

 ドイツ人医師エルヴィン・ベルツは、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として、明治9(1876)年6月、27歳の時に来日しました。彼の日記が「ベルツの日記」として出版されています。その中から当時の日本と日本人の姿を引用してご紹介します。
写真は当時の皇居桜田門(B・ジャポンより)
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引用開始
明治22年2月11日(東京)
 天皇の前には、やや左方に向って諸大臣、高官が整列し、そのうしろは貴族で、そのなかに、維新がなければ立場をかえて現在『将軍』であったはずの徳川亀之助氏や、ただ一人(洋服姿でいながら)なお正真正銘の旧い日本のまげをつけているサツマの島津公を認めた。珍妙な光景だ! 天皇の左方は外交団。広間の周囲の歩廊は、他の高官連や多数の外人のため開放されている。
 皇后は、内親王がたや女官たちと共に、あとより続かれた。長いすそをひく、バラ色の洋装をしておられた。すると、玉座の左右から、それぞれ一人の大官が一つずつ巻物を持って進み出たが、その一人はもとの太政大臣三條公だった。公の手にあった方が憲法である。他方の巻物を天皇は手に取ってお開きになり、声高らかに読み上げられた。それは、かねて約束の憲法を進んで国民に与える決定を述べたものであった。
 次いで天皇は、憲法の原本を黒田首相に授けられたが、首相はこれを最敬礼で受け取った。それが終ると、天皇は会釈され、皇后や御付のものを従えて、広間を出て行かれた。式は、僅か十分間ばかりで全部終了した。
 この間、祝砲がとどろき、すべての鐘が鳴り響いた。儀式は終始、いかめしく、きらびやかだった。ただ玉座の間が、自体は豪華なのだが、なにぶん地色が赤で暗すぎた。――皇后御付の女官たちの中に式部官として当地に在留する同国人フォン・モール夫人の上品な姿を認めた。

 東京で今日ほど、たくさん美しい娘を見たことがない。このみずみずしさ、このすこやかさ、このあでやかな着物、この優しい、しとやかな物腰。東京のいわゆる『山車』――宗教上のお祭に、人間や牛によって街路をひきまわされる行列の車――はことごとく街頭へ。多くは数階もある、こみ入った造り物で、上部には大きい人形や舞台面を取付け、前部には一種の音楽隊が控えていて、とてつもない騒音をかき立てるのだ。ある二、三の車ではその前方を芸者たちがいろいろな服装でねって行った。一番きれいだったのは『人足』(職人)に仮装した芸者の一団である。
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posted by 小楠 at 07:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B