2007年08月03日

フランス青年の明治8

明治の相撲と鎌倉
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
 著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は相撲をまねてみる一行
krafft18.jpg

引用開始
 隅田川を両国橋で渡って少し行った地域の本所のエコイン寺(回向院)で、力士の戦いが行われた。・・・・
 この奇妙な興行は、私に今までだれも考えたことのないことを思いつかせた。力士たちが戦っている様子、壇上の様子を写真に撮ることだ。写真機を持って行って試みようとした時、新しいもの好きの人は好奇心を見せたが、力士たちの丁重だがきっぱりとした拒否にあった。
 たいへん礼儀正しく、礼儀に対して最も敏感な日本人は、習慣の定めた節度を越すと、その人間に対して冷たい軽蔑の態度で接するようになる。彼らが過敏であることは、それほど長く滞在しなくても分かる。・・・

 私は言われた手続きを踏み、どんなにつまらない交渉もすべて厭わないようにした。そのため、イトーと寺の隣の小さい家に、協会の会長の七十歳の紳士に会いに行った。・・・
 イトーが伝統的な丁寧なささやき声で、私には永遠と思える説明、ほめ言葉をささやき、お愛想を言い、それに対して相手も同じように応え、時々静かにお茶を少しずつ飲み、キセルをふかし続けた。嫁や子供が話し合いに加わり、ソオデスカ、ソオデスネ、エ、エ! の声をのんびり発しながら。それが会話の中に何度も出て来るのだ。
 全員が非常な驚きで私のことを見ていて、もし、通行人が外の壁を外すことができたら、ためらわずに仲間に入ったことだろう。結局私のほうが成功をおさめ、親方は私の希望を受け入れることを約束してくれて、巨人たちを閉会式の次の日、闘技場を取り壊す前に集めるようにしてくれた。
 私のために行われた興行は、短時間では済まず丸一日かかった。・・・
 とにかく細かい部分も手を抜かず、いつもの状態であるようにした。私が言わなくてもすぐに集ったのが群衆だ。観客が必要だという心配は、物見高い人たちが四方八方から集って来たのを見た時、すぐ晴れた。すべてが思うとおりにいった。スモウ(力士)たちは、全然威張らずに気持ちよく私の希望に応えてくれた。何度も、試合前、途中、後のポーズをとってもらい、最後にお礼のためにきちんと包んだお金を、頼み込んで会長に受取ってもらった。
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posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B