2007年08月02日

フランス青年の明治7

明治、東京にて
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は大森の梅屋敷
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引用開始
・・・最も活気のあるのは大通りで、交通量の激しい往来で遊ぶ子供たちが問題になっている。小さい子供から、子供(あるいは代わりに巨大な人形)を背負っている子たちも、みんな道の真ん中を走り、注意されているにもかかわらず、平気で車夫たちの足元にまとわりついている。
 それに加え、盲目の人が杖をつきながら歩いていたり、下駄をはいた女性たちが不器用に小股で歩いていたり、全速力で走るジンリキシャ、荷物が重くてかがんでいる苦力などがいて、事故が起きないのは奇蹟としか言えない
 だがこの民族の冷静さと落ち着きが、事故を防いでいることは認めなくてきならない。イライラしたり喧嘩する人がいないし、車夫たちも他のクルマとぶつかりそうになると、非常に巧みに止まるのだ。その上笑いながら邪魔したことを詫びるのだ。どこでも洗練、礼儀、それに暗黙の了解が存在している。我々も見習わなくては!・・・・

 浅草への散歩道は、東京で最も人出の多い所で、観光客にとって興味深いものだ。・・・・
 トリイをくぐると、両側には店がぎっしり並んでいる。大通りはもっと活気づいている。写真館や床屋、おもちゃ売り、服、靴、茶や米、ハトのための豆売りがいてお祭りのようで、この露店の前を町や田舎からやってきた家族連れが、カンノン(観音)に向ってぞろぞろと散歩している。
 赤い柱の下にあるお金を投げ入れる木の箱に近づくにつれて、混雑が激しくなってくる。ここで祭壇の前を通り一列になり、寺の見せ物の彫像と、六世紀に川の岸辺で、ある貴人が釣り上げたという女神の聖遺物にたどりつくためだ。これは病気の救世主のビンツル(お賓頭廬)を表したものだ。いつでもこの偶像に、体の治したい部分を触れている熱心な人々を見かける。あまりにこすられるので、彫像はすっかりすり減っている。・・・
 坊さんたちによる祈祷が終わると、人の流れは寺の周りの露店の並ぶ娯楽や遊びのある広場に向かう。軽業師、手品師、学者犬、玉突き、弓、芸を仕込まれた鳥やてなずけられた猿、画廊、茶屋やお菓子屋。通りのそこら中に写真屋があり、陳列棚には人気のある俳優のさまざまなポーズのもの、有名な芸者、よそゆきの顔をした市民の写真が飾られている。
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posted by 小楠 at 07:55| Comment(2) | TrackBack(1) | 外国人の見た日本B